あの戦争は、政府が合理的な判断で遂行したというより、時代のムードに押されたところがあった。一握りの軍国主義者の指導によってではなく、国民の側が熱狂し戦争を支えていた。

  これは、なにげなく見たweb版東京新聞で見つけた佐藤忠男さんの言葉です。

 氏は、「われわれは扇動されやすい」というタイトルで、戦後日本でヒットした反戦映画でも加害者としての日本軍の行動には一切触れられていないことを指摘し、今の状況についても、「時代の気分が冷静な議論をはねのける気配を感じる」と語っています。

 小熊英二さんは『民主と愛国』で、

「1930年代前半には、経済不況からの脱出口として、戦争に期待をかけていた庶民も少なくなかった」と、述 べ、農本主義者の右翼橘孝三郎が記録したという、満州事変直後に列車の中で聞いた『純朴その物な村の年寄りの一団』の会話を、記しています。

「ど うせついでに早く日米戦争でもおっぱじまればいいのに。」「ほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかもしらんからな、所 でどうだいこんなありさまで勝てると思ふかよ。なにしろアメリカは大きいぞ。」「いやそりあどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆうても強いからの う。」「そりあ世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。「うむ……」「千本桜でなくとも、とかく戦いといふもの は腹が減つてはかなはないぞ。」「うむ、そりあそうだ。だが、どうせ負けたつて構ったものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつゝけることだ。勝てばもちろん こっちのものだ。思ふ存分かねをひったくる。まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい。かへつてアメリカの属国になりやあ楽になるかも知れん ぞ。」

 戦争景気を期待 するのは第一次世界大戦の記憶もあったことでしょうし、不況打開を口実にした軍部と政権の情宣活動もあったでしょう。また、《米国の属国》発言を当時ごく 普通の庶民が口にしていたことには驚きましたが、戦況も社会情勢もまだ太平洋戦争下のせっぱ詰まったものではなく、いかにも人々が楽観的に構えていたこと がうかがえます。
 まあ、それにしても庶民の計算高さと狡猾さがよく表れていて、その後の事態の成り行きを、つまり敗戦とあやふやな戦後処理を知っているだけに、ちょっとやりきれなさを感じます。

 さて、私が「扇動」の効果を身に染みて知ったのは、知り合いの高校生が小林よしのりの『戦争論』を読んで興奮したときです。もう、10年近く前になるでしょうか。
 更にその興奮を文藝春秋が補完しました。根拠のない自信が横溢するのと同時に、周囲に怒りをぶつけるようになり、国を護るためなら死んでもいい、とさえ言うようになります。

 幼い頃から競争社会に身を置いたものが、自分探しの行程途中で見つけた衝撃的な出会いでした。多分、競争で多少とも傷ついた心に、非常な高揚感を与えたのだろうと想像しています。そして、ちょうど、亡くなった義母の末の弟が戦死したのと同じ年頃です。

  『戦争論』だって、生まれるまでにはそれなりの素地がありました。戦後も保守層の間で語り継がれてきたイデオロギーの存在もその一つで、そうしたイデオロ ギーとでもいうべき傾向、気分を共有してきた人々の数は相当多かったのでは、と育ってきた時代と社会を振り返って思います。

 厭戦気分に は溢れていたのでしょうが、戦争の時代をついぞ直視することもなかったのが、その時代を経験した人の大半だったのではないでしょうか。戦争とその結果につ いて目をつぶってしまい、気分は大日本帝国時代とさして変わらずに、そのまま保守層の言説を下支えしたのではないでしょうか。

 60年安保で国会が揺れ、デモ隊が議事堂を囲んでいたとき、地方にいた、まだ小学生だった私が記憶しているのは、熱気とはほど遠い、周囲の冷ややかな反応でした。

  それから数十年後、買い物の最中、ちょっとした教育問題が店先の話題に上ったとき、「だから、今のなんかより昔の教科書の方が良いんだよ」と小売店に配達 に来た乾物の卸屋さんが評論家口調で語り、それを聞いた近所の奥さん方が相づちを打ったのは、そうそう昔のことではありません。

 一度は死んでしまったかに思われたけれど、単に眠っていただけ、眠っているふりをしていただけの論が、小林氏のマンガの語り口を通して十代の胸に響いたのは驚くばかりですが、何も目新しい論でも何でもなかったのです。ただ、十代の若い心には目新しかっただけです。

 眠るふりをしていたカビの生えたような言説が、こうも人の心をとらえるのはなぜでしょうか。

 人間の心のある種の側面に訴えかけるのは確かでしょうが、この疑問と同時に、なぜこうも、人は政治を語るのを忌み嫌うのか、という疑問が、私の胸から消えません。なにしろ、「政治と宗教の話しは御法度」という人が私の周囲にも多いのは事実ですから。

 確かに戦前・戦中は、政治を語るのは命がけでした。でも戦後は、主権者たる国民が政治を語るのは必要というより義務ではないか、とさえ思われます。

 ブログを越えて、ネットを越えて、政治を語ることが日常化されないものでしょうか。日常生活の中で使われても浮かない言葉、違和感のない表現はないものでしょうか。

 扇動されるところには不安があります。不安を煽り立てるような政治はやはりおかしいのですし、不安は不安を呼び、それを克服しようと勇ましい考えに惹かれていきます。常日頃から互いに語り合うのが、最良の克服策でしょうに。