明らかに戦前回帰だと分かるのに、明治憲法回帰だと分かるのに、「戦前は良かった」「大日本帝国憲法は良かった」と言いつのり、改憲のために、たった2割の賛成で改憲できるように、しゃにむに国民投票法案を通そうとするごり押し内閣の姿がいよいよ見えてきましたね。

 自民党議員に強く根を張る神道政治連盟は、「現行の日本国憲法は、残念ながら日本人として自身(「自信」の間違いでしょう)と誇りを持てない恥ずかしい憲法です」と主張しています。

 その理由は、まず「翻訳調であること、そして万国共通の原理や法則が通用するように謳っていること、現実離れの空言である」の3点。

 万国共通の原理や法則が通用するように謳っているとは、「人類普遍の原理」とか「政治的道徳の法則は、普遍的なものであり」を、現実離れの空言とは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を指しています。

 つまり言い回しも翻訳であれば、そこに見える理念も翻訳だ、というわけです。

 なんだか言いがかりに近いものがありますね。無理があります。

 言葉遣いもその中味も翻訳だから、恥ずかしい。昔に戻せ、というわけですから。
 人類普遍の原理などありえない。自分たちの唱える天皇中心の明治期から敗戦終戦までの世の中が現実的だ、といっているように聞こえます。

 敗戦後も生き延びた「国体護持」というお化けが跋扈していているのが透けて見えませんか。

 こう主張する人びとが本気でそう信じているというよりも、単なる方便になっているのではないか、というのが私がずっと抱いてきた疑問です。
 国体護持を復活させるために、国体護持の周りをさまざまな言葉と情緒で飾り、魔術を仕掛けて人を罠に落とす。往々にして、真面目な若者がこの手の魔術にひっかかります。
 一億総白痴化が心配されたテレビは、魔術のかかりを良くするための催眠装置です。

 さて、権力欲を成就させるのには政治家ほど都合のよい職業はありません。早くいえば、与党の政治家ほど、権勢をほしいままにできる商売はありません。
 その議員という身分を保ち、確かなものにするためには、手段も選ばずに手を尽くす、と考えてもおかしくありません。

  おまけに議員であることは政治家ひとりの問題ではないでしょう。ひとりの政治家の下には、いったいどれだけの人数の人が身を寄せているのでしょうか。ひも を引っ張れば、家族にとどまらず、秘書から後援会、その他諸々の利害関係を持つ人たちが、きっとぞろぞろ連なって出てくるでしょう。

 政治家とそれを取り巻く人たち家の子郎党は、日頃から自分たちの既得権益を「死守」するつもりで一丸となって戦ってきた人たち、といえそうです。

 議員になるため、またその地位を守るためには、なんでも有りです。

 節操の無さでよく話題になるのは山谷えり子ですが、私のところで最近話題になったのは、伊吹文明文科大臣。でもこの人たちは氷山の一角と考えるのが自然でしょう。

 議員として生き延びるためには、支えてくれさえすれば何でもよし。節操のないのが当たり前。

  今事務所費問題を抱えている松岡利勝は、1999年の『週刊現代』で統一教会系の秘書を4人抱えていたことを指摘されていて、いくら「ただ」だからといっ ても、後がこわいよ、と呆れたものです。統一教会系秘書の数を見ると衛藤征士郎の5人がダントツ1位でしたから、松岡利勝は第2位ということになります。
 
 与党には宗教勢力の影が見えすぎます。
 公明党を支えるのが創価学会だというのは周知の事実ですが、これに劣らず自民党もしっかりと宗教勢力に浸蝕されています。

  自民党議員の多くと民主党議員の一部が所属しているといわれている日本会議には政界・財界・神道界のリーダー以外に、生長の家、モラロジー研究所、霊友 会、キリストの幕屋等々の新興宗教団体が参加しています。宗教団体は動員力がありますから、選挙の時は大きな貢献をするでしょうが、当然、その見返りが期 待されるでしょうね。
 もちろん話題の石原慎太郎は日本会議ですから、こうした宗教団体が後ろに控えています。

 数日前にNHKの画面に統一協会の合同結婚式に祝電を打った上に夫人までが出席していた保岡興治氏が出ていたので何事かと見ていると、衆議院憲法特別委員会が開会できなかったニュースでした。保岡氏は同委員会の自民党筆頭理事とか。
 この方の秘書について1999年の週間ゲンダイでは統一教会系は0人となっていますが、祝電と妻まで送ったところをみると、かなり強い結びつきを疑われても仕方ないでしょう。

 霊感商法で貧者からかき集められた金銭が、まわり回ってこうした議員のところにも一部流れる、なんて考えたくありませんが、可能性は大いにあります。

 安部首相自身、慧光塾やら統一教会、観音様を立てた社団法人などとの奇怪な関係がいろいろ取りざたされています。

 そして解せないのが、他宗派を排斥することで有名な創価学会・公明党が、連立を組む自民党のこの状態を黙認していること。

 結局、政権の裏には、神道系・キリスト教系・仏教系を含む雑多な新興宗教に創価学会という一大勢力から統一協会までがうごめいている、というわけです。

 ひとたび命令を下せば一糸乱れず指導者たちのいうがままに動く新興宗教の信徒たちの世界が、おそらく日本会議に集うこの国のリーダー達の理想なのではないか、と私は疑っています。

 いつか知り合いの高校生が民主主義を否定するのを直に聞いたときは、跳び上がるほどビックリしてしまった私。曰く、大衆は馬鹿だ、民主主義は衆愚政治だ。

 おかしいのは、この高校生が自分を大衆の1人としては勘定に入れていないことです。明らかに大衆の1人なのですが、本人の自覚としては、自分は大衆を指導する側なのです。あくまでも権力に繋がる存在としての僕、です。

 日本会議に集う人たちの感覚は、これと似たようなものでしょうか。
 
 これまで私たちは、神道政治連盟がバカにする日本国憲法、つまり現行憲法で守られてきたました。
 歴代政権が「解釈改憲」によって外堀を埋めてきたのも確かですが、それでもまだ、ボリビア憲法に戦争放棄条項を盛り込むことを明らかにしたモラレス大統領のように、私たちの国以外の人たちにも希望を与えてきたのは確かでしょう。

 (写真はモラレス大統領) 

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 解釈改憲に飽きたらず、本当の改憲でとどめを刺そう、というのが日本会議や神道政治連盟の企図するところ。
 そのためにはなんでもやる、という姿勢の表れが改憲手続簡略化法である国民投票法案。

 ふー、今日の私のおしゃべりが、妄想でありますように。

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