伊藤一長長崎市長が亡くなられてしまいましたね。

 私など、昨晩の衝撃的なニュースで初めてお名前を知ったほどですが、思わず心の中で、どうぞ、回復されりますように、と祈ってしまいました。
 ご家族や関係者の方々の悲しみも思いやられますし、こうした形で人の命が奪われて、やりきれなさが抑えられません。

 痛恨の極み、とどなたがが言われてましたが、本当にそう思います。

  昨日夜の首相コメントは、「厳正な捜査」と「真相究明」を求めた、あっさりした型どおりの文言だったらしい。まあ、今日のお昼のNHKニュースでは、「選 挙期間中に」とか「民主主義に対する」とかの言葉が聞こえてきましたが、事件の直後から「暴力への怒りや批判」なり「伊藤市長の様態への気遣い」なりが あってしかるべきではなかったのか、とますますやりきれなくなります。

 たしか昨年の加藤紘一さん自宅放火事件の際も、小泉首相・安部官房長官(当時)は事件発生当時は見て見ぬふり、といわれてもしかたのないような対応で、やっとコメントを出したのが2週間後ぐらいではなかったでしょうか。
 何の関係もない、自民党支持者でも加藤氏支持者でもない私が、すぐにお見舞いと激励の言葉を送ったというのに。

 なんだか、とんでもない時代に突入しているような「いやーな気分」です。

 報道によると、平和問題、ことに核問題に対して毅然とした姿勢を貫かれた方のようです。

 asahi.comの記事の一部を抜粋します。

当 選した年の11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での証言で、広島市長とともに「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と陳述。 「違反とまでは言えない」との立場の外務省からは、文言をめぐって直前まで働きかけが続いたが、曲折の末、「違法」を明言した。

 02年8月には「原爆の日」の「平和宣言」で、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と述べ、初めて米国を名指しで批判した。

 05年5月、米ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言。長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。

 今年3月、前年に続いて被爆地・長崎の反対の声を押し切り、米海軍のイージス艦が長崎港に入港。「核搭載の疑惑もある軍艦なので、残念の一言に尽きる」と語った。


(以上)

 伊藤一長さんのご冥福をお祈りいたします。