ついこの間まで新聞紙面等をにぎわしていた(?)言葉「南北問題」がいつの間にか消えてしまいましたね。

 これはけっして問題が解決したからではなく、代わって登場してきたグローバリズムの陰で、むしろ問題が進化・深化して広がり、なんだか当たり前の光景に思わされているような気がします。

 つまり、北の国々の中にも南北問題が出現した、もしくは出現しつつある、と考えた方が良さそうです。
 グローバリズムの進展と共に南北問題はむしろ世界中に拡散した、ということです。

  前エントリーであげたベクテル社のように世界中にネットワークを持つ企業が空前の利益を上げるのを見て、日本も、最近ではサルコジ氏を選んだフランスで も、その前にはメルケルを選んだドイツでも、波に乗るのを遅れまじ、とばかりに官民タイアップで世界市場に焦点を当てて戦略を練っているのでしょうか。

 南には、イラクのように国単位でスクラップ・アンド・ビルドを仕掛けられて商売の対象にされる場合もあれば、相も変わらぬ奴隷並み労働に従事する人びとの怨嗟の声が聞こえるような国もあります。

003 ← ベルギー土産にもらったゴディバのチョコレート。

 この一粒の中に、アフリカの子供たちの汗と涙がどれだけ詰め込まれていることか、と考えると、3cm強四方の薄いチョコももったいなくて、手を出すことさえためらわれます。

 そう、売られたり騙されたりした子供たち、日本でいえば小中学生にあたるこどもたちが、カカオ農園で過酷な重労働に従事しているといいます。

 一方、豊かといわれる北側世界でも、競争の結果、自らの内に南の社会を抱え、南側の世界を舞台にして行われる戦争に駆り出されるのが、北側世界の中の南側に生きる若者たちのようです。

 ついこの間まで一億総中流意識に馴染んできた私たちは、まだ豊かな国の競争社会から生じる暴力的な格差に慣れていません。
 いわば、無邪気に、負ける方が悪いんだ、努力しなかった自分が悪いのだ、と自分に対しても他人に対しても断罪しがちです。

 競争原理が貫かれる教育で常にお尻を叩かれて育つ子供たちは、努力すれば報われる、という甘い言葉にどうも弱いようです。
 もちろん、努力が報われることは大切ですが、人と比べてより良い成績をとり、より良い地位を得る競争で努力が可能な子供もいるが、その努力が結果に反映されるには、努力以外の要素も大きいことはよく知られています。

 恵まれた環境の中にあっても挫折を味わう子供はいくらでもいるわけですし、むしろ挫折を知らない子供の方が珍しい。
 長い目で見れば、人間なんて挫折の連続だ、ともいえるのですが。
 
 そんな中で、努力をすれば報われるんだ、と自分に言いきかせて、努力が報われない怒りを抑える子どもたちがいます。なんだか逆説のようですが。
 
 努力は報われる、と思い込みながらなかなか報われないことに心の底では怒っている状態で、挫折をした自分を許せない。けれど、努力をすれば報われる、報われねばならない、という信仰にも似た想いは、意外にそうした努力が報われていない人たちに支持されたりします。
 怒りを抱えながら、新自由主義の競争社会を支持するわけです。

 そうした人に限って、たとえばエイズ患者の多い南の国々に、エイズ治療薬を安価に提供する必要はない、と言いきったりします。なぜって、莫大な経費と膨大な人の力を結集して特許を得たのだから、その努力に見合った対価を得て当然だ、というわけです。

 努力を要求されて育った子供は、人にも努力を要求するのでしょうか。
 努力は確かに「善」であると学んできましたが、努力一元主義の下では、一種の暴力として作用することがあるのではないでしょうか。 

 幻想の努力至上主義。
 
 ひとりで努力する、ひとりで頑張る、というのは結構つらいものがありますし、歳をとると、競争し続けるのも面倒です。
 
 必ずしも努力は否定しないけれど、努力から《適当に》解放される。
 自分にも人にも努力を課すことから、ちょっと距離を置く。

 そんないい加減な生き方がいいなあ、と思ったりしませんか。

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