ごくたまに思い出すことがある、一群の人たちがいます。

 小金持ちです。大金持ちを私は直接知ったことはないので、直に知っているといえば、小金持ちの方々ばかり。
 この方々は、とりあえずは事業で成功しています。ただし一部は不況でかなりの境遇変化を経験したようですが、これまたたまに耳に入ってくる話しは、相変わらずだったりします。まあ、それも虚勢を張っていると考えられないこともありません。

 傲慢です。
 ただし、傲慢さの表れ方は、人によりかなり差があります。
 なかには無邪気に、明からさまに、自分の境遇を自慢しまくる人もいますが、これはとても分かりやすい人です。

 この人たちは互いに知り合いで、一般の人びとから自分たちを区別して目に見えない壁を築いていますから、憲法第14条の【法の下の平等】を信じ切ったままに接すると、手ひどい反撃を喰らうこともあります。

 中央から地方の末端まで、階層式というより数学の「組み合わせ」でみるような「樹形図」状に、それぞれの上下関係が意識の上でできていると私は思っています。

 江戸・明治・大正・昭和の戦前の社会では、上を見るな、下を見て暮らせ、と教わり、自分よりまだ下層の人間がいると安心しました。が、この人たちは自らが築いた目に見えない壁の外側の人のことはほとんど斟酌しませんから、もっぱら上を見て暮らすことになります。

 こうした一群の人たちのことがたまに頭にのぼると、「選民意識」という言葉もいっしょに思い出して嫌な気分になるのですが、この「選民」の語を「灰色のベンチから」さんの中に見つけたときは、ちょっぴり我が意を得たりの気分になりました。
灰色のベンチさんの「ミリオン狂想ワルツ」の一節「グレースピアは綺麗に選民思想の神に命中した」です。

 そう、私の灰色の槍はまだしまわれたままですが、そろそろ準備して、今度の選挙で命中するといいな、なんて。

 小金持ちで傲慢で、目に見えない壁を作って上だけを見て暮らしている人たちに充満している選民意識を、初めて接したときは理解できませんでした。でもあれからもう数十年経ち、距離を置いて眺めると、ぴったりと形容するものとしてこの言葉が浮かび上がってきます。

 自分たちは壁の向こう側の人間から奉仕されて当然だ、とでもいうような感覚がなぜ生まれるのか、今だに不思議でしょうがないほど、この意識には根拠が希薄です。

 強いてあげれば、たまたま、現在、成功した身分であること、それぐらいでしょうね。

 中には延々と続く自慢話で違いを強調する人もいますが、そういう人に限って、子供の素行や学業でピエロを演じたりします。

 根拠がなくとも、この選民意識は頑強です。
 周囲でそれを支える人にも事欠きませんし。

 多分、優位に立っている己の地位を維持するにも、また己の行状を自ら肯定して納得するためにも、この意識や感覚が必要なのだと思います。

 選ばれているからこそ、他人に奉仕を要求できるわけです。

 そうした人が議員に選ばれれば、今度は合法的に奉仕を要求できます。
 すべては自分のために、自分たちのために。
 世の中は自分と仲間たちを中心に廻っている。

 この錯覚、このイリュージョンはしぶといです。
 自身の誇りの源泉ですから、容易には手離しません。

 アベ氏を取り巻き、彼を支える人たちの物言いがなぜああも高圧的で傲慢なのか、と考えるたび、このイリュージョンがちらちら見えてきます。

 ワシントン・ポストに掲載された妙な意見広告にも、このイリュージョンが見えませんか?
 

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コムスン通信NO.10

 アベ氏が官房副長官時代にコムスン機関誌に登場したこの号は、HPから削除されているようですね。
 6月14・15日のエントリーに関わるので魚拓がとってあります。


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