朝、家事の手を休めてひと休みしていると新潟・長野方面での地震が速報されました。

 40数年前に石油タンクが次々に炎上した新潟地震を経験しているだけに、人ごとではありません。
 柏崎といえば原発もありました。
 後のニュースで原発の火災も伝えられました。幸い小火ですんだようですね(後のニュースを見るとそんなものではないですね。6号機から微量の放射性物質を含んだ水が漏れて海に流れ出たかもしれないとか)。

 でも地震の直接の被害だけでもたくさんの死傷者が出ているようですし、時間の経過とともに被害が増えていますね。

 心配です。
 地震にあわれた方々には、くれぐれもお大事に、としかいえませんが。

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 さて今日の毎日には、パキスタン、イスラマバードでのモスク籠城で殺されたラシッド・ガジ師についての記事が載っています。

 なんでも軍が突入する前日の9日に、宗教問題相・情報相・副情報相相ら閣僚と宗教指導者たちの計11名で5時間以上にわたってモスクの前でガジ師と交渉が行われて、双方合意に至っていたのだという話しです。

 合意内容は“降伏条件案」としてすぐ大統領府に伝えられたが大統領側の答えは「全項目の拒否」。その上「身の安全は保証されない」と通告され、ガジ師は激怒し、その2時間後には軍の強行突入が始まったといいます。

 12日のテレビでムシャラフ大統領は「過激派の要求は到底受け入れられないものだった」と演説をしましたが、合意内容をみればどこが“過激派”なのか理解に苦しむところ。

 たてつくものには容赦しない、ということでしょうね。
 もちろん、大統領の後ろには米国が控えているのでしょう。

 5月、ガジ師は毎日の記者と会見をして「われわれは原理主義でも過激派でもない」と言っています。

「われわれはタリバンでもないし、アルカイダとの関係もない。9・11(米同時多発テロ)の前も後も、イスラムに忠実に生きているだけだ」とも。

米国の経済制裁解除後に、パキスタンの経済が発展したことについては、
「一部の特権階級だけが恩恵を受けている」とし、

「(国境付近での武装勢力掃討作戦で) 多くの市民への犠牲を甘受しているのはその代償なのか」と憤り、

 年内に予定されている総選挙については
「悪い者も正直者も投票できる米国流民主主義はおかし い」と述べたそうです。
 
 おそらくガジ師の主張はほんとで、原理主義でも過激派でも、タリバンでもアルカイダでもないのだと思います。

 政府に異議を唱えるガジ師たちは、過激派だ、テロだ、という口実で片づけられてしまったのではないか、という疑いをぬぐうことができません。

 また師の主張を「持論」と毎日は表現していますが、国連機関に勤務経験があり、視野の広さと深い洞察力で知られ世界に「イスラムの窮状」を発信し続けたという師の降伏を認めずに突入を強行した経緯をみると、軍隊は誰のために、何のためにあるのかと、いま一度問いただしたい気持になります。

 悪い者、正直者が誰であるか、いったい誰が判断するのだ、という問いは永遠に解けそうにない問題ですが、米国流民主主義はおかしい、と断言するガジ師の言葉も、気持は分かります。

 でもやっぱり、私たちは民主主義を超えるシステムをいまだ見いだしていないのだ、と思います。

 民主主義がうまく機能するためには、つまり「人民の人民による人民のための政治」が行われるためには、不断の努力が必要です。

 もともと「人民」はpeopleの訳語ですから、これを「みんなの、みんなによる、みんなのための政治」と言い換えてもいいかな、なんて考えてみました。

「みんなの、みんなによる、みんなのための政治」には手間も暇も知恵もとりわけ必要で、主権者である“みんな”には、それなりの良識と見識が求められます。
 それを面倒くさがっていては、民主主義はうまく機能しません。

 その民主主義を面倒くさがっているのが、どうも私たちの国ではアベ氏のようです。

 最高権力者として自分の思い通りに政治をしたい、国を動かしたい、という衝動に突き動かされているように見えます。

 そのためには前言を翻すこともいとわず、慰安婦問題についても年金問題についても、意見をころころ変えることをためらいません(どなたかが年金に関するアベ氏の発言の変遷をまとめてくれていましたが)でした。
 
“ぶれない”のは私心のない証しだ、などとアベ氏を評価する向きがかつてありましたが、今はどうなのでしょう。

 ぶれたり迷ったり悩んだりして人間は賢くなるのだと私は思っていますが、アベ氏の言葉のぶれはそれではなく、自己の地位を築くこととその保全のためでした。

 確かドイツ語では約束を守る男のことを「言葉の男」と表現したと記憶にあります。

 言葉を大切にして約束を守る、これも民主主義では大切ですが、アベ氏の手によって「美しい」を初めとした日本の言葉が、なんと軽くなってしまったことでしょう。

 仮にこれからも私たちの国のリーダーでいたいのであれば、言葉を大切にして人びとの暮らしを守ると約束し直し、その約束を大切にする……無理でしょうね。
 
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         ありがとうございました。m(_ _)m