とむ丸の夢

疑惑September 10, 2007 7:55 pm

30日の毎日朝刊。
 1枚めくって目に飛び込んできたのは、「『与謝野官邸』に存在感」の見出しでした。
 その横に目をやると、目をむいた桝添厚労相。「『年金』解決 私の公約だ」。

 なおもめくると、「テロ特措法延長 『反対』民主に対案なし 原則論の1点張り 小沢戦略に党内沈黙」の記事。

 アベ氏は、参院選惨敗後の続投への批判をしりぞけて内閣改造を強行したわけですが、こうして既成事実を積み重ね、それをメディアが追認していくのは、やはり報道各社のトップたちとの会食で決まっていたことなのでしょうかね。

 庶民の生活も知らず、政策の理解もなくて、ひたすら米国の顔色をうかがい、国家主義のイデオロギーを押しつけるだけの首相、シンゾー氏。

 こんな風にメディア対策に終始することしか能がない首相を戴く国民の不幸を、当の本人はご存じないでしょうね。

 コイズミ以降、いよいよもって政治が軽いものになってしまいました。
 米国の言うことを忠実に遂行しておけばいい……
 メディア対策で、都合の悪いことも米国の影も消しておけばいい……
 それだけで政治ができるのですから。
 
 その上でアベ氏が無い知恵を絞るのは、日本会議派の国家主義イデオロギーを国民の中にいかに浸透させるか、というところでしょう。
 でも、このイデオロギーの反映の一つでもあった「価値観外交」を、町村外相は受け継がないらしい、というより、「後退」だ、とあります。

 「与謝野官邸」出現で、アベ氏はますます影が薄くなるらしい。

 そして桝添厚労相は、“命がけ”で年金問題を解決すると勇ましい。
 
 けれど、もともと積み立て方式と思っていたものがいつの間にか賦課方式だった、ということになってしまった年金について、利権にたかってきた政治家たちの懐に巨額な金が転がり込んでいるのだ、きっと、と私の周囲でも噂されています。
 
 貧困、格差問題をどう認識されていますか、と訊かれて新厚労相は、

「データには表れない感覚的格差はあると感じる。だから(自民党が)選挙で負けた。政府の大きな役割はセーフティーネットを張ることだ。だが、何でも税金を突っ込むのではモラルハザードを引きおこす」

 と答えた。「切磋琢磨も必要。要はバランスだ」という言葉も添えて。

 でも、いつも思いますが、私たちの社会で一番モラルハザードが激しいのは政治家ではないかしら。それも、利権に群がる与党政治家たちが。

 年金の巨額資金にしゃぶりついてきた人物たちを明らかにしようとすれば、確かに“命がけ”かもしれませんね。
 賢い桝添氏のこと、そんなことに命を懸けるとは思えません。
 じゃあ、いったい何に命を懸けるのでしょうか。

 もらえるはずの年金をもらっていないのかもしれない、あるいはもらえないかもしれない、という不安。

 もらえそうもない、という怒り、あるいはしらけ。そこから来る制度への不信。

 この不安と怒りとしらけの元になるのは、記録の不備と保険料の流用

 流用については、もしかしたら、これに政治家が絡んでいるのではないか、という疑問がどうしても払拭できないんですよね。もちろん官僚も。
 そうなれば、当然その額はマッサージチェア購入どころの話しではないわけですし。
 蜜に群がる蜂のように、業者のみならず政治家・官僚が寄ってたかって年金を食いものにしてきたのでしょう?

 たとえばグリーンピア問題について保坂展人さんは今年4月の記事で、

グリーンピア問題の責任は社会保険庁にはなく、旧厚生省年金局と自民党族議員にあったということを確認しておきたい」

 と書かれていますし。

 それにしても新聞にあった流用項目――グリーンピア建設費・被保険者の住宅融資事務費交付金・福祉医療機構への支出・年金福祉施設の整備費・年金相談などの経費・年金事務費・委託事業――の内容は、あまりに大ざっぱすぎてよくわかりません。
 特に
事務費交付金・福祉医療機構への支出って、何でしょう? 

 現在は削除されてしまった「山本恵子の政界夜話」のページには、年金記録の破棄を命じた当時の長官正木馨氏の豪奢な邸宅の一部の写真が載ってましたっけ。それも、年金資金で建てたものだとかなんとか説明があったような。

 また、年金利権といえば、民主党チームが東京・品川区の社保庁倉庫で見つけたという2冊のファイル 

「民主党サイドはファイルのコピーの提出を求めてきましたが、社保庁はずっと突っぱねてきた……その2冊のファイルには、自民党の族議員 が、建設会社のために社保庁に“口利き”した証拠が眠っているとみられている。ついに中身が明らかに なるとあって、関係者は震え上がっていますよ」

 歴代の自民党政権は、社保庁とグルになって、グリーンピアとか厚生年金会館建設など、年金の給付以外に約6兆9000億円も国民の保険金を流用してきた。とてつもない“利権”が暴かれたら、安倍自民党は一巻の終わりだ」(livedoorニュース 8月24日)。

 ああ、記録不備の問題でも流用問題でも、年金のことを考えていくと終わりがありません。

 まさに厚労相が命をかけてする仕事にふさわしい。

 桝添大臣! 基礎年金番号に統合されていない5000万件の年金記録の照合作業も怠りなく。そして流用・利権問題についてもしっかりやっていただきたいです。
 まさか、2冊のファイルのマル秘事項隠しに命をかける、なんてことのないように。


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Uncategorized 7:54 pm

あああ、いわんこっちゃない、と心の中で呟く。

 今日の毎日朝刊。
 世界陸上、エリトリア選手団の5人が、開幕2日前の23日、指定先のホテルで部屋が確保できずに、ラウンジの床に毛布を敷いて夜を明かしたという。
 その後の24、25、26、そして27日昼まで、見かねて空きベッドを提供した隣国ジブチの選手と相部屋だったそうだ。 
 
 エリトリア
 1993年にエチオピアから独立した紅海沿岸の細長い小さな国。西隣はスーダン。
 ジブチは東隣のさらに小さな国で、1977年にフランスから独立している。

 ジブチの名は聞いたこともあるけれど、エリトリアという名は初めて知った。
 両国ともれっきとした国連加盟国だ。

 中国から贈られた建造物が、花博後壊れるがままにされていた話しは、イベントよりも大事なことで数日前に書いた。時はちょうどオリンピック誘致活動を盛んにやっていた1992(平成4)年のこと。このオリンピック招致の計画については、湾岸開発の失敗隠しに画策されたのではないか? と問題を投げかけているサイトもある。

 結局大阪市は招致に失敗して、公式発表で53億3200万円の税金を無駄にした。公表額がこれだから、実際はもっと使われたと考えてもおかしくはない。

 それから15年後の今年2月、世界陸上の準備作業の一つか、長居公園からホームレスたちのテントが強制撤去された。またこの時大阪市の行った手続きが法的要件を満たしていない可能性を指摘する専門家もいたほど、無茶な処置だった。

 その上ホームレスの人たちの尊厳を護るべく活動していた人を、予防拘禁にも等しい、聞いたこともないような軽微な罪名で逮捕。

 その結果がこれだ。アフリカの選手が、大会を前にホテルの床に毛布を敷いて寝る。

 当事者でなくとも腹が立つし、恥ずかしい。

 誰のための、何のための世界陸上なのか。

 大会を運営する組織委員会の名簿を見ると、お偉方の名前がずらーっと並ぶ。

 最高顧問は森喜朗・御手洗富士夫の両人。

 理事には河野洋平から大田房江知事、關淳一市長、市議会議長、他日本陸上競技連盟関係者のみならず経団連、電通、経済同友会、商工会議所、毎日放送の関係者。
 目を引いたのは、理事の1人に吉本興業社長の名があったこと。ふ~ん、そんなものか……。
 
 この世界陸上。特需が期待されて、経済効果は210億円と試算されていると報じているのは
FujiSankei Business
65億人を魅了する世界陸上の舞台裏」を伝えるところもある。

 競技をする選手も素晴らしいが、競技を支えるIT技術もすごい。

 熱い闘いを繰り広げるアスリートたちには惜しみない拍手を送りたいが、それにしても裏方がひどすぎる。
 ボランティアたちの掲示板では悲鳴が聞こえてくるようだ。

 いくら競技場の周りからホームレスたちのテントを無理やり撤去して小ぎれいにしても、ホームレス支援の有志たちが抗議行動を起こさないように予防措置を講じても、ボタンの掛け違いが最後まで影響するように、混乱している。
 いくらIT技術がすごくても、結局最終的な力は一人ひとりの力の結集だ。
 
 人の命やその尊厳を軽視するような姿勢で良い結果の生まれるわけがない。
 
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政治屋 7:53 pm

どうもアベ氏の言動が一貫していない。矛盾だらけだ、支離滅裂だ、といってもいいくらい、と思って昨日その一部を問題にしたら、リベラル21さんでも同様なことが書かれていました。25日の「暑くたって忘れまい」です。

・「(参院選惨敗後)、『反省すべき点は反省して』と言った。ところが、その後、なにをどう反省したのか、なにもおっしゃらない。おっしゃる気配もない」し、

・ 敗戦記念日15日の全国戦没者追悼式での式辞「国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」言いながらも、

「『先の大戦』のどこのなにを反省するのか。満州事変、日中戦争、真珠湾、東南アジア侵攻、それぞれをどう総括しているのか」まったく不明で、

・ 同じく同「不戦の誓いを堅持し」と明言したこととテロ特措法の延長を図る意思は、どこをどう考えれば結びつくのか分からないし、

・ 広島・長崎「原爆の日」の式典で「憲法の条項を遵守し」と挨拶しながら、「戦後レジームからの脱却」の一環としてかねてから「憲法改定」を唱えてきたの事実はどうなっているのか、

 というようなことをリベラル21さんは指摘されていました。

 もっとも「不戦の誓いを堅持し」については「堅持ではなくチェンジ」に聞こえたぞ、という声も多くあり、それであればこれまでの言動とも一致するわけです(笑)。

 が、他の点についてはどうも分かりません。

 式辞でも挨拶でも、一応体裁は繕っておくわけでしょう。

 場違いな言葉を吐くとそれこそ大問題ですから、その場その場で“期待されるであろう表現を定式通りに並べている……ちょうど子供たちの「夏休み の友」の国語の宿題にありそうですが、決まり文句を適宜選択し、昨年とはちょっと並び方を変えて一丁あがり、としている場面を想像していまいます。

 時には妻まで動員して、米国に行けば米国の期待に沿った台詞を吐く。
 追悼の場ではそれらしき沈痛な面持ちで、適当な言葉を連ねておく。

 なんだかできの悪い生徒の安直な作文を聞かされているような居心地の悪さと気恥ずかしさを感じるのはそのせいですね。
 恥ずかしくないのは当人だけ? これだけ前言を翻して、また翻して、をくり返していたら穴があったら入りたくなる心境になるのが普通じゃないですか。
「私はウソは申しません」と言った、池田勇人がなつかしくさえなります、いろんな意味で。

 これはもう、“本音と建前”などという問題ではありません。それ以前の問題です。
 コイズミ純一郎の無責任放言の悪質さとはまたちがった‘どうしようもない’節操の無さ。
 叱られた子供が、大人の誘導にかかってその都度違ったいい訳を、地面を見ながらぼそぼそ言ってるみたいです。

 政治家がこれほどまでに自分の言葉に責任を持たなかったら、いったいどうなってしまうのでしょう。
 雄弁であれ、とまではいいませんが、もっと言葉に誠実であれ、かりにも国民に語りかけているのですよ。
 その場しのぎの言葉をパフォーマンスで誤魔化そうと思っても、そこまで私たち国民は馬鹿ではありません。

  
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政治屋 7:53 pm

とむ丸の今日のはてな?

・埼玉県民は上田氏を、再び知事に選んだ。しかも投票率は27.67%。3、4人に1人しか投票場へ行ってない。私もちょっと縁のある埼玉県。いったい埼玉の人たちは何をしている? 

 上田清司氏とは、春の都知事選に神奈川の松沢氏と共に慎太郎氏の応援に駆けつけた人。
 
自衛官の人たちは大変だ。分かりやすく言えば平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の命、財産を守るためだから偉いと褒めたたえなければいけない

 と述べて、図らずも軍隊の意味を世間に思い出させてくれた方。
 
 ご多分に漏れず「人殺し」の根拠を「平和を守るため」に求めています。

「海兵隊の訓練には平和の『へ』の字もありません。来る日も来る日も、するのは『殺しの訓練』です」

 と、話したのは、トナム従軍兵士の元米国海兵隊員アレン・ネルソンさん。

 どちらが真実を語っているかといえば、私にはやはりネルソンさんの方だと思います。
 国民の命、財産を守るというのであれば、人殺しをする前に、つまり戦争にいたる前に、政治に携わる人間にはすることがたくさんあります。
 ところが世の中には、政治的な努力をするよりも戦争をしたがる、“政治屋”ともいうべき人が、往々にして見受けられます。しかも自らの手は汚さず、自分と自分に連なる人たちを安全地帯に置きながら、他人の子供たちをけしかけるわけです。偉いぞ、と褒めた たえながら。

 そもそも、わざわざ「褒めたたえなければいけない」と言わなければならないのは、眉に唾をつけて聞いておきましょう。

 
・安倍改造内閣

 防衛相が高村正彦、厚労相が桝添要一。これって、何の意味があるのかしら?

 総務相の増田寛也って、いったい何ものだ?

 この疑問はこれから考えることにして、発足の際のアベ氏の言葉。

 疑惑を持たれた場合について「何か指摘されれば、説明をしなければならない。十分な説明ができなければ、(内閣を)去っていただくという覚悟で閣僚になって頂いている」。

  この発言からは、疑惑が浮上した閣僚たちの説明不十分な対応に悩まされてきた姿ばかりが浮き彫りにされます。
 でも、赤城農水相(当時)の場合も、「農相はしっかり説明した」と述べ、問題はないとの認識を示したのではなかったかしら。
 松岡農水相(当時)の場合も、「説明責任を果たしている」とかばってたのに。

 アベ氏の当初の認識では、松岡氏も赤城氏も「十分な説明ができている」ということでしたね。
 それでも1人は死に、1人は更迭されましたよね。

 一貫性がないなあ。言葉が信用できません。いったい何を考えているのだか。

 十分説明している、と抗弁してきたことが誤りで180°見解を転換させるのであれば、あれほど問題になって、さらには死者まで出したのですから、「説明が不十分と認識していたにもかかわらず、心ならずもウソを言わねばなりませんでした」と、一度きちんと国民に謝ってから次の行動に移ってほしい。 

 自分の言葉に責任を持ってほしい。

 でも内弁慶のお山の大将は、謝ることが大の苦手なんですよね。それに責任を取ることも。

   
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Uncategorized 7:52 pm

 アッテンボローさんも書かれていましたが、世界陸上を前にした24日、日雇・野宿労働者への攻撃に対して先頭をなって抵抗してきた人を大阪府警が予防拘禁にも等しい逮捕をしたことを、薔薇、または陽だまりの猫さんが伝えています。
 25日の華やかな開会式の裏にそんな出来事のあったことを、いったいどれだけの人が知っているでしょうか。

 大阪と言えばオリンピック候補地に手を挙げたことが想い出されます。
 オーサカ、オーサカと歌い踊りながらオリンピック開催をしきりと訴えていた頃、私は花博の跡地、鶴見緑地にしばし遊んだことがあります。

 それはそれで楽しかったのですが、その楽しさが失望に変わる体験をしたのも、この花博記念公園鶴見緑地でした。

 花の万博の際に各国から贈られた庭園が、メモリアルガーデンとして残されています。
 そのうち、木造建造物で構成されていた中国庭園の荒れ方がはなはだしかったためです。詳しくいいますと、中国庭園に立てられた木造の東屋や塀らしきものが、何カ所も壊れたたまま放置されていたのです。

 せっかく寄贈されたものです。もっと大事にしてほしい、と思ったのは当然のこと、オリンピック誘致運動に莫大なお金を使うのならば、その一部だ けでも修理に使うべきではないか。そもそも、オリンピック開催に名乗りを上げる前に、かつて行った国際イベントの跡地の維持管理をきちんとするべきではな いか、と思って腹立たしさを覚えたものです。

 次から次へとイベントを開催する。これは、その後の活用を考えずに次々に箱ものを作るだけの行政と同じ。その上、「臭い物に蓋をしろ」とばかりに、ホームレスを排除する。
 そればかりでなく、開会式を控えて、ホームレス排除に抗議の声をあげた人たちが再び行動しないように、聞いたこともないような罪状でひとりの人間の自由を奪ったわけです。

 圧倒的な力でホームレスを排除し、さらにはその支援者を拘束した上でアスリートが行進し、歌劇団が舞い、歌舞伎役者が大阪締めをする。

 イベントを挙行するのが政治の目的ではなかったはず。
 人びとが安心して毎日を暮らすようにすることが、政治の仕事ではなかったかしら。
 一体いつから私たちの国は、地道な積み重ねを軽視して、その時その時の一時的な催しにうつつを抜かすようになったのでしょうか。

 しかも、フランスでも同様のことが行われたようです。
 中心街からホームレスを追い出そうと、ネズミ駆除に使う化学薬品を路上に撒いていた市があったのだとか。

 目障りなものを視界から遠ざける。

 これを、ナチスの例を出すまでもなく、私たちは日常的にしています。
 ゴミ出しがその典型。車の運転をしながらタバコの吸い殻を外に放るのもそうですが、もっと大変なのが基地であり原発です。

 で、私たちの日常的なゴミ出しとこのホームレス排除や基地・原発との決定的な違いは、圧倒的な力で強制するかしないか。
 でも、強権で排除するのも、このゴミを自分の視界の外に追いやろうとする人の心の働きを利用しているのは確か。それで何となく納得してしまう人もいるのでしょう。

 とにかく自分たちの見えないところに、気になるもの、じゃまなもの、肯定しがたいものを押しやってしまう。目の前をちらちらしなければ、なんだか安心する……そんなごまかしを許さないどころか、行政自らが率先して行ってしまう。しかも、強権を行使して。 
 
 もう一つ、排除されるものとしてゴミとホームレスが決定的に違う点は、片方は紛れもなく人間だということ。意思と生命を持つということ。
 野宿するまでどんな経緯があってどんな事情を秘めているか知りませんし、それぞれが異なる生を抱えていることでしょう。でも人として尊厳に値するのは同じこと。
 時には命をも奪うホームレスへの傷害事件で逮捕される少年たちと、排除を行う行政と、どこが違うというのでしょうか。

 最後に人の命の保証をするのは政治の仕事です。
 それとも、所詮、使い捨ての駒に過ぎない、とでも考えているとしたら……怖ろしいことです。
 
 政治が仕事をしていないことを訴えて本来の仕事を果たすように要求してきた人を、イベントのじゃまになるとして予防的に逮捕することは、さらに怖ろしいことです。

  
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つぶやき 7:51 pm

初めて訪問したPAGES D’ECRITUREさんの「国家主義的右翼が『マゾヒスト史観』と訣別したがるとき【4】」はフランスの『ヌーベルオブザーバー』誌を訳された記事ですが、やけに気になりました。
 
特に、こういうことだったのか、と合点のいった個所が、以下の部分です。

「(つくる)会の発起人の一人は 西部邁、極右の理論家に転向した元トロツキストだ。彼は説明する、『我々の戦いのイデオロギー的基礎、それはフランス革命思想の拒絶だ。人間は自由で平等 に生ま れる、母親の腹から出るや否や人権を享受する、という思想はグロテスクだ。個人は、その教育に応じて、徐々に権利を獲得していくのだ。自由、平等 、友愛  という言葉に対して、私は対置する。秩序 、差異 と競争心 だ!』」
(文中のフランス語の削除はとむ丸です)。

 このフランス人権思想の否定に私は仰天するわけですが、ちょうど同じことを呟いていた高校生を知っていました。少年から青年の世界に足を踏み入れかけた16歳。
 口癖が「世の中は弱肉強食の世界だ」「弟が兄に勝てると思うな」。
 デモクラシーをせせら笑い、老いは醜いとうそぶいて人の神経を逆なでする子でしたが、真面目で一途に「真実」を追求したいという姿勢も持っているような男の子。

 小林よしのりの『戦争論』に感激したあたりから右派傾向を強めていき、しきりに「南京大虐殺は中国のでっち上げだ」「慰安婦は商売だった」「八紘一宇、三光作戦は正しかった」と言い始めました。

 そもそもが真面目なお子さんでしたから次第に信仰のように頑なな態度を示すようになり、初めは笑って言い分を聞いていた私の顔もだんだんと引きつるようになって、とうとう出入り禁止同然の対応をすることになってしまいました。

 当時私の周囲にいる友人たちはこの話にピンとくることは皆無でしたし、後日「つくる会」から次々に出された本についても関心を示すことはありませんでした。けっこう社会問題には敏感な人たちだったのですが。世間一般の人たちは、今でもそんなものかもしれません。

 その時代、中学・高校の男子生徒の中には、ことあるごとに「天才」という言葉を連発したり、時には他人を「ボケ」と罵倒したりする子がいて、そんなことを言うものではないとたしなめても効果なし。
 へへへと笑いながら「天才だね」と呟く言葉は単なる自己への褒めことばでしたし、「ボケ」というのも、「お前のかあちゃんでべそ」ぐらいのことだったのかもしれませんが。


 自由・平等・博愛の精神は自明のことで、まるで先験的に与えられていたように感じていた私が、デモクラシーなんて衆愚政治だ、と
目の前で否定されたときの驚きを想像していただけるでしょうか。 
 ただ、デモクラシーを罵倒する考えが彼の心の琴線に触れたことは事実で、またその理由も判らないわけではありませんでした。
 
 
自由・平等・博愛の精神を信じていたものが、急に「秩序・差異・競争心」を信奉するようになるわけではありません。そして真面目で真摯な姿勢を見せていても、弱いものへその眼差しを注ぐとはかぎりません。
 だいたい若い人は自分自身に夢中で、己の力を誇示することに心を砕きます。ましてや上昇志向の強い親によって幼い時から競争を強いられていたら、他人のことなどにかまってはいられません。

 一方で、「私を虐めることで気が済むならそうさせてやってもいい」と言った中学生もいました。小さなもの、弱いものに人一倍思い入れを示す子で、なんだか自己と他者の境界があやふやになっているような感じがしました。思い入れは小さな虫けらにまで及びます。
 でも、心の中では虐めに対する怒りを抱え、思わぬところで怒りがほとばしり出ました。
 こんなとき専門家なら何というのか知りませんが、とにかく私は、矛盾を含んだ彼女の言い分に耳を傾けましたっけ。

 女性原理自己を犠牲にしてでも他者を生かそうとし、男性原理他者を犠牲にして踏みにじってでも踏み砕いてでも、他者をのり超えて進んでいこうとする。100%女性原理に貫かれることも、100%男性原理に貫かれることも現実にはありえない、といいます。

 先の西部邁氏を左翼・右翼の切り口で観るなら確かに180°立場を換えた人でしょうが、この男性原理・女性原理から見ると、男性原理がとても強い。おそらく何処も変わっていない、一貫して男性原理に立ってきた人ではないでしょうか。

(なお、「トロツキスト」という語自体は、レオン・トロツキーの生涯を描いたアイザック・ドイッチャーの「予言者」3部作を読んだ身には、意味のない言葉のように思えます)。

 今話題の小池百合子や高市早苗といった自民党の女性議員たちによく見られる傾向ですが、「女」を利用しながらも女性原理からはほど遠い人たちです。

 ところでアベ氏ですが、奇妙なことに女性原理はもちろんのこと、男性原理さえもあまり感じないのです。競争社会を生き抜く気概のようなものが男性原理には見えるのですが、それがどうもない。
 やはり皆さんが揶揄するように、人間として未成熟なのでしょうか。成長する前も成長してからも周りが全てお膳立てしてくれた、そんなところから、とらえ所のない人間が生まれるのかもしれません。

 アベ氏を観ていて感じる何ともいえぬ違和感やいらだちは、そんなことも原因の一つでしょうか。

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つぶやき 7:50 pm

告別式に参列しました。
 先生の愛弟子、元留学生の中国人女性も一緒です。17年前、来日したばかりの頃、右も左も分からない彼女に、時刻表に赤線を引いて列車の時刻を教えてくれたのも先生だったといいます。
 日本でお葬式に出るのはこれで2度目だけれど、こんな大きなものは初めてと、昨日からピタッと私にくっついて、見よう見まねで焼香その他をこなしてきました。
 
 日本の大手企業で働くようになってからも、いつも人生の師として先生を慕い、奥さまにも可愛がられた人です。

 先生と最後の別れでした。

 合掌。

 明日から、いつものブログに戻ります。

Uncategorized, つぶやき 7:50 pm

申しわけありません。まだ政治ブログを書く気になれないので、今日も亡くなった人の話を少し。

 夫は50代に入って間もなく、大学時代の仲間を3人癌で失いましたが、私の方は幸いと言うべきでしょうか、これまでに友人の死は経験していませんでした。今回の先生の死が初めてです。

 欲が無さ過ぎたねえ、もっとじたばたと生きたがっても良かったと思うのだけれど、と言う人もいました。
 
 通夜でお会いした奥さまのやつれ具合がちょっと痛々しくて。そういえば、お盆前にお会いしたときも先生は心配されていましたっけ。
  車にはねられたとき、そして闘病生活に、奥さまの気が休まるときがなかったのでは、と考えながらも、いやいや、ヤマモモ取りにご一緒したときも、それは楽 しそうだった。たしか癌の再発前のその時期、ご夫婦で、ご家族で、きっと楽しい思い出をたくさんつくられたに違いないと、帰り道つらつらと考えます。

 大阪のご出身でしたからお好み焼きを作るのが上手で、学生時代は仙台の街をお好み焼きの屋台を引いては生活費稼ぎをしていたのが自慢? でした。
 もちろん私たちは、今度お好み焼きをするぞー、と言われると喜々としていつもの赤提灯に直行したものです。その日ばかりはカウンターの中に入った先生がマスターです。私はアルコール類は体が受け付けないので、もっぱらお好み焼きとお茶でしたが。

 そしてお正月には干しエビの入った塩味のお餅を作られるのですが、それがまた美味しいのです。

 うーん、やっぱり料理は人の気持ちを和ませます。
 通夜帰り、いつもの赤提灯で弔い酒を交わしながら、またお好み焼きが食べたい、いや、餅の方だ、餅が食べたいと、みなさん勝手なことを言ってます。

 やせこけて、ほんとに亡骸(なきがら)になってしまった先生の姿に衝撃を受けながら、なんだか魂だけは抜け殻になった身体を離れてみんなを観ているのではないか、そんな気がしてきました。

つぶやき 7:49 pm

昼の暑さもようやく和らぎほっとしていると、訃報の知らせ。
 
 つい先日、「有権者の参院の乱 乱にはおさまるの意味が」で伝えた先生の奥さまからの電話でした。あまりに早かったのでびっくりしましたが、受話器を置いた後しばらく、心の中で合掌。

 前日はちょっと苦しまれたそうですが、今日の午後、静かに眠るように逝かれたというお話でした。夫の飲み友だちでしたが私も結構親しくさせていただき、分からないことがあるとメールでお尋ねすれば、律儀にお返事をして下さる方でした。

 車の運転が好きで、愛車のベンツを駆ってご夫婦で、あるいは一番気のあったお孫さんを連れて、よくドライブをされていました。おじいちゃんと小学生の利発なお孫さんは、とてもいいコンビ。
 免許を取られたのはかなり遅く50代でしたが、教程もスムーズにこなされて楽しんでいらっしゃる様子がほほえましい、そんな感じでした。

 私たち夫婦も何度かごいっしょしましたね。
 お孫さんがそっと私を手招きするので行ってみると、おじいちゃんの愛車のバンパーにちょっとした傷が。うん? と思って先生の方へ目をやると、素知らぬふりをしてらした……無関心の関心ですね。

 先生のベンツでワイワイにぎやかに宮崎県の椎葉村に行ったこともありましたが、あれはリタイア後のこと。学長を務められたときは国立大学が独立行政法人への移行期で、お忙しそうでした。
 そんな中、我が家の庭でのバーベキュー・パーティにもご参加いただきました。そういえば、あの時一緒に飲んで食べた、通称「駅長」さんも、もう何年も前に鬼籍に入られてしまった……。

  先生は、といえば、リタイア生活を楽しまれながらも、ここ何年か、少々不運なことが続きました。喉頭癌で手術した後だったでしょうか、それとも前だったで しょうか。夜道で軽自動車にはねられのです。でも、お見舞いに行くとスタスタと歩かれ、私たちはお元気な姿を拝見して安堵したものです。

 先生の話によると、事故後ふと気づくと、横で女の人がおんおん泣いている。どうしたのか尋ねると、自分をはねた車の運転手だった。
「僕は大丈夫ですから、もう泣かないでください」
 そう言ったんだよ、と笑いながら話されたのが思い出されます。

 この事故からは何事もないように生還されましたが、癌には勝てませんでしたね。
 
 安らかにお眠り下さい。

政治屋 7:49 pm

「あべさんが可哀想だったので林さんに入れました」。

 そんなことを言う人がいたのだそうです。
 
 先の参院選の投票行動について山口県の人と話しをしていたときに出てきた話です。
 私にはかなりショックで、電話を切った後もしばらくの間この言葉が耳の奥で鳴り響いていました。

 私の癖ですが、この言葉を発した人がどんな人か、想像してみます。
 お年寄り? 高齢者で投票場に足を運べる人と考えると、大正生まれもそう多くはありません。昭和生まれの最高齢で81、2歳です。

 戦争中の逼迫した生活を経験しながらも、大正生まれほど戦地にかり出されることがまだ少なかった世代かな?

 いやいや、年寄りとは限らないぞ……むしろお隣のおばさん、お姉さんのような人たちが、あっけらかんとして言いそうだ……待てよ、女性とは決まっていない、男の人の可能性だってある……。

 でも働き盛りの男性については、「もう、今回は自民党には入れない。民主党に入れてやるよ」という言葉が聞かれてもいましたし、積極的な林・アベ支持派だったら「アベさんがかわいそうだから」などという言い方はしないだろう……。

 それからはロールプレーイングです。
 おはようございました、と後半の「ご」を強く発音して折り目正しく挨拶する山口地方の以前のお年寄りなら、しっとりと優しく、「あべさんが可哀想だったので林さんに入れました」でいいけれど、今の年輩の人はどんな言い方をするのかしら?

 おしゃべり中だったら「アベさんがかわいそうだから、林さんに入れたのよ」
 それとも、「林さんに入れないと、あべさん、かわいそうよね」

 とか?

  こちらは真面目に政治を考えているのに、何をぼけたことを。本当に可哀想なのはいったい誰よ! 

 と一蹴したい気分でしたが、いかんいかん、‘民主主義’だ、人を馬鹿にしてはいけない、と自分の気持ちをなだめなだめて、思い出したのが「B層」でした。

「B層」については最近ではたんぽぽさんkojitakenさんが書かれていますね。
 らんきーブログさんはシリーズものです。先ずは「B層スパイラル」へ。
 
 
 たんぽぽさんは「「B層=だまされやすい人」といわれています。
 なるほど、アベ氏がかわいそうだ、とは完全に騙されていますよね。

 ことに山口県では、3代も4代も前からアベ・岸・林に馴染んでいて、思い入れも人一倍なのでしょう。
 日本の、ことに地方の年配者は律儀です。一度入れたら、その後も律儀に同じ投票行動をくり返しそうです。

 ‘辣腕’洋子ママの講演会に晴れ着を着ていそいそと出かける女性たちも問題の発言をした人も、やはり「B層」に区分けされそうです。

 ネットではアベ氏について「バ○」「資質がない」「器でない」等々の言葉が飛び交っていますが、選挙区には「私たちの国のプリンス」と受けとめている人が少なからず存在するのです。一種の‘偶像’でしょうか。

 そして偶像に憧れたり、偶像の存在に安心したりする人たちがいるのでしょう。偶像といってもその歴史は、岸信介の活躍した農商務省・満州国時代にまで遡っても100年にもなりませんが。

 また岸信介が戦後、国を売るのと引き換えにCIAから‘cold cash’つまり「現ナマ」を得て、さらには統一協会と手を結び、孫のシンゾー氏は親の代から得体の知れない新興宗教とも関わり蓄財にも励んできたわけですから、プリンスはプリンスでも「ブラックプリンス」ということです。

 積極派にしても消極派にしても、そんなこと気にしていない。信じていないし知利もしない人も多そう。テレビに映る気弱そうな我が郷土の王子さまがかわいそう、と思ってしまう。

 なんでもシンゾー氏は政治家になりたてのころ、とても話しが下手くそだったといいます。今でもけっしてうまくはないのですから、お母さんはオーラがあって、あんなに話もうまいのに、どうして? と不思議がられたとか。
 そんなシンゾー坊やがかえって気になったのか、総選挙ではいつも圧倒的な支持を得ています。父親の晋太郎氏がすんでのところで病に倒れて亡くなってしまったことへの同情みたいなもの、1種の判官びいきもあるでしょうし、郷土から宰相を、の願いも強かったことでしょう。

 60年代末か70年代初め、友人が山陽本線の列車の中で目撃したという、「君はもう‘岸詣で’をすませたか?」としたり顔で語っていたという‘エリート’の卵たちとはまた異なるアベ支持者たちです。
 山口県の特殊事情かもしれません。
 江川紹子さんは‘岸真理教’という言葉を使っていましたが、「岸神話」といってもいい。

 おそらくこの手の「神話」は、全国各地にみられるでしょう。キーになる人物が亡くなると、その瞬間から神話は生まれ育っていき、一定の人びとの間で共有される、という風に。

 ただ、この神話はシンゾー君には重すぎる、という気がします。
 神話を信じてシンゾー君は滞りなく祭祀を執り行おうとしましたが、見事国民から拒否されました。けれどこの神話があってこそのシンゾー氏なのですから、神話を否定することは自分を否定すること。否定したふりをしても、ふりだけなのはすぐばれます。
 これからどうするのでしょうか。

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