参院選の結果を見て、違和感の残る当選者が何人もいます。
その中のひとりが、丸川珠代氏。
住民基本台帳法に違反してアメリカからの帰国後転入届をしなかったために期日前投票をできなかったのが7月16日。
このときは「いまや自民党の足を引っ張る存在だ」と酷評されていました。
さらに片山さつき衆院議員に抱きついて号泣したのが19日のこと。
この日、川田龍平さんからは「政治を志すものとして、投票に行ってないなんて信じられない。これはきちんと有権者に判断してほしい」と厳しく非難された、と報じられました。
石原伸晃氏にだめ出しされ選対本部長の平沢氏は鬼の形相だ、と伝えられ、落選確定と噂されていたのが、ふと気づくといつの間にか当落線上。そして同じ自民の候補者を蹴落として当選。
腑に落ちないなあ、と思っていたところ、なあんだ、石原ファミリーの丸抱え応援で宗教票、つまり霊友会票を取っていたのね。
霊友会、創価学会を初めとして、その他日本会議に集うさまざまな新興宗教団体は、なぜこうも政治権力との結びつきを求めるのか、怒り半分、驚き半分でいつものことながら疑問が湧いてきます。
政治家にとってはまとまった票が号令一過で転がり込んでくるわけですから、こたえられない、といったところでしょう。
政治に絡む宗教、つまり政治権力と結びつこうとする宗教グループは、一斉に同じ姿勢と同じ見方をとるようで、そこに疑問を挟む余地はないようです。
政教分離を持ち出すまでもなく、私たちの国の圧倒的多数は、己の信仰先と選挙の際の投票先は別だ、という感覚を持っています。
いえ、これは正確ではありませんね。「信仰」という自覚がほとんどありませんから。
それでも法事の際にお経でも和尚さんに和して読むと、なんとなくいい気分になるのも確かです。このときほのかにかおるお香にもほっとした気分になるのは、やはり長年の習慣でしょうか。
でも、だからといって和尚さんが投票先を薦めるわけでも強要するわけでもない。
そうやって私たちは長い間、政治と宗教に対する姿勢を保ってきました。政治と宗教それぞれに対する距離を、それなりにとってきたわけです。
私たちの多くは、宗教に根ざした排他的行為をとても嫌います。自分たちだけが特別に選ばれた存在であると主張するグループは私たちの社会とあまり馴染まない、というか、警戒心を抱かせるだけに終わることが多いのも事実。
そんな宗教グループがいくつもあって、選挙の際は同一教団であれば同一の投票行為を行う。おまけにこの宗教票は候補者の当落を決定することがある。
その結果選ばれた“先生方”が、日本の政治の一翼を担うことなる。
そんな政治のありさまにたまらない嫌悪感を覚えるのですが、みなさんはいかがでしょう。
すでに選挙前に節操の無さでさんざん笑われた“丸川先生”は、これからどんな言動をとるのやら。第2の山谷えり子になるのかな? なんてちらっと考えたりしましたが。
宗教グループのこうした政治権力との結びつきを見ると、日本の民主主義の弱さ・未熟さを痛感します。
一人ひとりが主権者としていかに政治と関わっていくか、これも幼い頃からの教育が大切でしょう。ただでさえ難しいその教育が、昨年の教育基本法改悪で風前のともしび状態。
やはり政治から目が離せませんね。
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