ガンで入院中の知人の見舞いに夫とふたりで行ってきました。
 喉頭癌で手術をされたのが4、5年前だったでしょうか。
 今春、腰が痛い、と言われて入院したときには、すでにガンは全身に転移していました。
 その時私はお会いしていないので、病状も夫から聞くばかりでした。

 そして今回の入院。
 やせこけた土色の顔に内心驚きながらも、当たり障りのない会話が続きます。
 絞り出すような声に耳を傾けながら、病人の表情と部屋の様子をうかがいます。

「やっと重湯が食べられるようになったよ」

 なるほど、棚には柔らかく伸ばした梅干しの果肉の瓶詰め等が並んでいます。
 想像してはいましたが、実際に「塩酸モルヒネ」の点滴の用意があることに軽い衝撃を受けますし、血液が容器に入ってぶら下がり、管を流れる様子を見るのもかなり辛いものがありました。なにしろ、輸血を目の前に見るのは初めてでしたから。
 もちろん周りには高齢者が多かったので、救急車に何度も乗り、病院通いが日課だったこともありますが。

 病人は私たちより一回り年上で、国立大学の学長を2期まで務めた方。私の身近で数少ない、“歩く辞書”のお一人です。

 帰り際、以前聞いたお話を数日前に想い出していたので、切り出してみました。

「先生は、『男女7歳にして席を同じうせず』の『席』は『床』、つまり『寝床』のことだ、といわれましたよね」。

「そうだ。草かんむりがあろうとなかろうと『席(席)』と『蓆(むしろ)』は音が同じでね、時々入れ替わったりする」。

「『乱』だってそうだ。『みだれる』の意と同時に「おさめる」の意がある」。

「あっ、知ってます。『高場乱』の名は『おさむ』ですよね」。

 ここから幕末期の福岡藩の勤王の志士について、ひとしきり話しがはずみます。
  
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 ちなみに高場乱は幕末から明治にかけての儒学者で女性です(↑ 上図)。
 当時全国的に有名だった福岡県須恵町「田原眼科」の家の出で、現在の代々木ゼミナール近くの地に私塾を開き、多くの門弟を抱えました。これがいわゆる「ニンジン畑塾」。
(ニンジン畑だったところだったのでそう呼ばれたわけですが、この場合、もちろんニンジンは朝鮮ニンジンのことだったと記憶しています)。
 そこで荒くれものの福岡の青年たちを教え、最後の弟子で有名なのが、あの頭山満でした。

 こうして高場乱から話しは平野国臣、野村望東尼にまで及びます。

 先生の目にも力がこもってきました。

「獄から処刑に向かうとき、『行くぞおー』と平野国臣が同志に大きく声をかけていったという話は、切なかったですねえ」と、私。

 そんな話を交わすうち、高場乱の知識を得た本が先生と私とでは違っていたことが分かりました。

 結局、

「書名と出版社をメールで知らせて。本屋に注文するから」

 という話に。

 食が通らずすっかり痩せて1人で立つこともできなくなり、ベッドの上でリハビリをする病人が、新たに本を注文して読むという。
 うれしかったですねえ。

 ついでに、今回の有権者による「参院の乱」が、私たちの国が独立国として国際社会の中で歩むきっかけになるように、そしてこの国がうまく「おさまる」ように願いたいものです。
 

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