初めて訪問したPAGES D’ECRITUREさんの「国家主義的右翼が『マゾヒスト史観』と訣別したがるとき【4】」はフランスの『ヌーベルオブザーバー』誌を訳された記事ですが、やけに気になりました。
 
特に、こういうことだったのか、と合点のいった個所が、以下の部分です。

「(つくる)会の発起人の一人は 西部邁、極右の理論家に転向した元トロツキストだ。彼は説明する、『我々の戦いのイデオロギー的基礎、それはフランス革命思想の拒絶だ。人間は自由で平等 に生ま れる、母親の腹から出るや否や人権を享受する、という思想はグロテスクだ。個人は、その教育に応じて、徐々に権利を獲得していくのだ。自由、平等 、友愛  という言葉に対して、私は対置する。秩序 、差異 と競争心 だ!』」
(文中のフランス語の削除はとむ丸です)。

 このフランス人権思想の否定に私は仰天するわけですが、ちょうど同じことを呟いていた高校生を知っていました。少年から青年の世界に足を踏み入れかけた16歳。
 口癖が「世の中は弱肉強食の世界だ」「弟が兄に勝てると思うな」。
 デモクラシーをせせら笑い、老いは醜いとうそぶいて人の神経を逆なでする子でしたが、真面目で一途に「真実」を追求したいという姿勢も持っているような男の子。

 小林よしのりの『戦争論』に感激したあたりから右派傾向を強めていき、しきりに「南京大虐殺は中国のでっち上げだ」「慰安婦は商売だった」「八紘一宇、三光作戦は正しかった」と言い始めました。

 そもそもが真面目なお子さんでしたから次第に信仰のように頑なな態度を示すようになり、初めは笑って言い分を聞いていた私の顔もだんだんと引きつるようになって、とうとう出入り禁止同然の対応をすることになってしまいました。

 当時私の周囲にいる友人たちはこの話にピンとくることは皆無でしたし、後日「つくる会」から次々に出された本についても関心を示すことはありませんでした。けっこう社会問題には敏感な人たちだったのですが。世間一般の人たちは、今でもそんなものかもしれません。

 その時代、中学・高校の男子生徒の中には、ことあるごとに「天才」という言葉を連発したり、時には他人を「ボケ」と罵倒したりする子がいて、そんなことを言うものではないとたしなめても効果なし。
 へへへと笑いながら「天才だね」と呟く言葉は単なる自己への褒めことばでしたし、「ボケ」というのも、「お前のかあちゃんでべそ」ぐらいのことだったのかもしれませんが。


 自由・平等・博愛の精神は自明のことで、まるで先験的に与えられていたように感じていた私が、デモクラシーなんて衆愚政治だ、と
目の前で否定されたときの驚きを想像していただけるでしょうか。 
 ただ、デモクラシーを罵倒する考えが彼の心の琴線に触れたことは事実で、またその理由も判らないわけではありませんでした。
 
 
自由・平等・博愛の精神を信じていたものが、急に「秩序・差異・競争心」を信奉するようになるわけではありません。そして真面目で真摯な姿勢を見せていても、弱いものへその眼差しを注ぐとはかぎりません。
 だいたい若い人は自分自身に夢中で、己の力を誇示することに心を砕きます。ましてや上昇志向の強い親によって幼い時から競争を強いられていたら、他人のことなどにかまってはいられません。

 一方で、「私を虐めることで気が済むならそうさせてやってもいい」と言った中学生もいました。小さなもの、弱いものに人一倍思い入れを示す子で、なんだか自己と他者の境界があやふやになっているような感じがしました。思い入れは小さな虫けらにまで及びます。
 でも、心の中では虐めに対する怒りを抱え、思わぬところで怒りがほとばしり出ました。
 こんなとき専門家なら何というのか知りませんが、とにかく私は、矛盾を含んだ彼女の言い分に耳を傾けましたっけ。

 女性原理自己を犠牲にしてでも他者を生かそうとし、男性原理他者を犠牲にして踏みにじってでも踏み砕いてでも、他者をのり超えて進んでいこうとする。100%女性原理に貫かれることも、100%男性原理に貫かれることも現実にはありえない、といいます。

 先の西部邁氏を左翼・右翼の切り口で観るなら確かに180°立場を換えた人でしょうが、この男性原理・女性原理から見ると、男性原理がとても強い。おそらく何処も変わっていない、一貫して男性原理に立ってきた人ではないでしょうか。

(なお、「トロツキスト」という語自体は、レオン・トロツキーの生涯を描いたアイザック・ドイッチャーの「予言者」3部作を読んだ身には、意味のない言葉のように思えます)。

 今話題の小池百合子や高市早苗といった自民党の女性議員たちによく見られる傾向ですが、「女」を利用しながらも女性原理からはほど遠い人たちです。

 ところでアベ氏ですが、奇妙なことに女性原理はもちろんのこと、男性原理さえもあまり感じないのです。競争社会を生き抜く気概のようなものが男性原理には見えるのですが、それがどうもない。
 やはり皆さんが揶揄するように、人間として未成熟なのでしょうか。成長する前も成長してからも周りが全てお膳立てしてくれた、そんなところから、とらえ所のない人間が生まれるのかもしれません。

 アベ氏を観ていて感じる何ともいえぬ違和感やいらだちは、そんなことも原因の一つでしょうか。

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