アッテンボローさんも書かれていましたが、世界陸上を前にした24日、日雇・野宿労働者への攻撃に対して先頭をなって抵抗してきた人を大阪府警が予防拘禁にも等しい逮捕をしたことを、薔薇、または陽だまりの猫さんが伝えています。
 25日の華やかな開会式の裏にそんな出来事のあったことを、いったいどれだけの人が知っているでしょうか。

 大阪と言えばオリンピック候補地に手を挙げたことが想い出されます。
 オーサカ、オーサカと歌い踊りながらオリンピック開催をしきりと訴えていた頃、私は花博の跡地、鶴見緑地にしばし遊んだことがあります。

 それはそれで楽しかったのですが、その楽しさが失望に変わる体験をしたのも、この花博記念公園鶴見緑地でした。

 花の万博の際に各国から贈られた庭園が、メモリアルガーデンとして残されています。
 そのうち、木造建造物で構成されていた中国庭園の荒れ方がはなはだしかったためです。詳しくいいますと、中国庭園に立てられた木造の東屋や塀らしきものが、何カ所も壊れたたまま放置されていたのです。

 せっかく寄贈されたものです。もっと大事にしてほしい、と思ったのは当然のこと、オリンピック誘致運動に莫大なお金を使うのならば、その一部だ けでも修理に使うべきではないか。そもそも、オリンピック開催に名乗りを上げる前に、かつて行った国際イベントの跡地の維持管理をきちんとするべきではな いか、と思って腹立たしさを覚えたものです。

 次から次へとイベントを開催する。これは、その後の活用を考えずに次々に箱ものを作るだけの行政と同じ。その上、「臭い物に蓋をしろ」とばかりに、ホームレスを排除する。
 そればかりでなく、開会式を控えて、ホームレス排除に抗議の声をあげた人たちが再び行動しないように、聞いたこともないような罪状でひとりの人間の自由を奪ったわけです。

 圧倒的な力でホームレスを排除し、さらにはその支援者を拘束した上でアスリートが行進し、歌劇団が舞い、歌舞伎役者が大阪締めをする。

 イベントを挙行するのが政治の目的ではなかったはず。
 人びとが安心して毎日を暮らすようにすることが、政治の仕事ではなかったかしら。
 一体いつから私たちの国は、地道な積み重ねを軽視して、その時その時の一時的な催しにうつつを抜かすようになったのでしょうか。

 しかも、フランスでも同様のことが行われたようです。
 中心街からホームレスを追い出そうと、ネズミ駆除に使う化学薬品を路上に撒いていた市があったのだとか。

 目障りなものを視界から遠ざける。

 これを、ナチスの例を出すまでもなく、私たちは日常的にしています。
 ゴミ出しがその典型。車の運転をしながらタバコの吸い殻を外に放るのもそうですが、もっと大変なのが基地であり原発です。

 で、私たちの日常的なゴミ出しとこのホームレス排除や基地・原発との決定的な違いは、圧倒的な力で強制するかしないか。
 でも、強権で排除するのも、このゴミを自分の視界の外に追いやろうとする人の心の働きを利用しているのは確か。それで何となく納得してしまう人もいるのでしょう。

 とにかく自分たちの見えないところに、気になるもの、じゃまなもの、肯定しがたいものを押しやってしまう。目の前をちらちらしなければ、なんだか安心する……そんなごまかしを許さないどころか、行政自らが率先して行ってしまう。しかも、強権を行使して。 
 
 もう一つ、排除されるものとしてゴミとホームレスが決定的に違う点は、片方は紛れもなく人間だということ。意思と生命を持つということ。
 野宿するまでどんな経緯があってどんな事情を秘めているか知りませんし、それぞれが異なる生を抱えていることでしょう。でも人として尊厳に値するのは同じこと。
 時には命をも奪うホームレスへの傷害事件で逮捕される少年たちと、排除を行う行政と、どこが違うというのでしょうか。

 最後に人の命の保証をするのは政治の仕事です。
 それとも、所詮、使い捨ての駒に過ぎない、とでも考えているとしたら……怖ろしいことです。
 
 政治が仕事をしていないことを訴えて本来の仕事を果たすように要求してきた人を、イベントのじゃまになるとして予防的に逮捕することは、さらに怖ろしいことです。

  
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