どうもアベ氏の言動が一貫していない。矛盾だらけだ、支離滅裂だ、といってもいいくらい、と思って昨日その一部を問題にしたら、リベラル21さんでも同様なことが書かれていました。25日の「暑くたって忘れまい」です。
・「(参院選惨敗後)、『反省すべき点は反省して』と言った。ところが、その後、なにをどう反省したのか、なにもおっしゃらない。おっしゃる気配もない」し、
・ 敗戦記念日15日の全国戦没者追悼式での式辞「国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」言いながらも、
「『先の大戦』のどこのなにを反省するのか。満州事変、日中戦争、真珠湾、東南アジア侵攻、それぞれをどう総括しているのか」まったく不明で、
・ 同じく同「不戦の誓いを堅持し」と明言したこととテロ特措法の延長を図る意思は、どこをどう考えれば結びつくのか分からないし、
・ 広島・長崎「原爆の日」の式典で「憲法の条項を遵守し」と挨拶しながら、「戦後レジームからの脱却」の一環としてかねてから「憲法改定」を唱えてきたの事実はどうなっているのか、
というようなことをリベラル21さんは指摘されていました。
もっとも「不戦の誓いを堅持し」については「堅持ではなくチェンジ」に聞こえたぞ、という声も多くあり、それであればこれまでの言動とも一致するわけです(笑)。
が、他の点についてはどうも分かりません。
式辞でも挨拶でも、一応体裁は繕っておくわけでしょう。
場違いな言葉を吐くとそれこそ大問題ですから、その場その場で“期待されるであろう表現を定式通りに並べている……ちょうど子供たちの「夏休み の友」の国語の宿題にありそうですが、決まり文句を適宜選択し、昨年とはちょっと並び方を変えて一丁あがり、としている場面を想像していまいます。
時には妻まで動員して、米国に行けば米国の期待に沿った台詞を吐く。
追悼の場ではそれらしき沈痛な面持ちで、適当な言葉を連ねておく。
なんだかできの悪い生徒の安直な作文を聞かされているような居心地の悪さと気恥ずかしさを感じるのはそのせいですね。
恥ずかしくないのは当人だけ? これだけ前言を翻して、また翻して、をくり返していたら穴があったら入りたくなる心境になるのが普通じゃないですか。
「私はウソは申しません」と言った、池田勇人がなつかしくさえなります、いろんな意味で。
これはもう、“本音と建前”などという問題ではありません。それ以前の問題です。
コイズミ純一郎の無責任放言の悪質さとはまたちがった‘どうしようもない’節操の無さ。
叱られた子供が、大人の誘導にかかってその都度違ったいい訳を、地面を見ながらぼそぼそ言ってるみたいです。
政治家がこれほどまでに自分の言葉に責任を持たなかったら、いったいどうなってしまうのでしょう。
雄弁であれ、とまではいいませんが、もっと言葉に誠実であれ、かりにも国民に語りかけているのですよ。
その場しのぎの言葉をパフォーマンスで誤魔化そうと思っても、そこまで私たち国民は馬鹿ではありません。
人気blogランキングへ ← ランキングに参加しております。
よろしければ、クリックをお願いいたします。m(_ _)m
