民営化後の郵便局で、即、私たちの生活に影響のあったものが各種手数料の値上げでした。
 
 たしか自由競争がおこって何でも良くなるような幻想を振りまいたのが、コイズミ・竹中氏たちでしたが、いざ2007年10月1日が来てみると、民間レベルに合わせて実質値上げ。特にひどかったのは小為替の場合で、10円の手数料が10倍の100円になってましたね。

 その上、やれ完全に公平な競争環境だとか、やれ完全な透明化だとか、お構いなしにさらなる要求を米国から突きつけられている我が政府。

 これでふと思いだしたのが、卑近な例ですが、私たちの町の幼稚園と温泉の話しです。

 わが家の子供たちが幼稚園に上がるようになったときの話しで、もう30年近く前のことです。以前に住んでいた横浜にはあったかどうか知らなかったくらい馴染みのない公立幼稚園でしたが、引っ越し先の現在の町には、当時、数は少なくてもいくつかありました。

 でもわが家の子供は結局そこへは行かず、ご近所の私立幼稚園に入りました。
 なぜかという、近くの私立幼稚園は施設も設備も良く整っていて先生方も良かったのですが、1年保育だったからです。
 近頃は3年保育が当たり前になっているようですが、当時はまだ2年保育。でも市立幼稚園はなんとたったの1年だけでした。

 もし市立幼稚園に通うとすれば、近所の子供たちが近くの幼稚園に行っているとき、ひとりっきりで遊ばなければならない、と考えてみんなと一緒に近くの私立幼稚園に行かせよう、と決めるのは、親としてごく自然の選択でした。

 結局わが家は1年でご近所の幼稚園をやめさせて、ちょっと足をのばして遠くの市立幼稚園に通わせることになるのです。
  まあ、うちの場合はこの選択がなかなか、というかとても良かった、つまり我が子との相性は、後に入った市立幼稚園の方が断然良かったということなのです が、その話しはひとまず置いておきまして、なぜ市立幼稚園は1年しか保育をしなかったのか? という問題があります(2年保育のところもあったと記憶して いますが、わが家からは遠いところでした)。

 なぜ今の時代に1年保育しかやっていないの? と事情をよく知る人に尋ねると、親たちの願いで市立幼稚園を作ろうというとき、周囲の民間幼稚園から大反対されて、結局1年だけだったら、という約束で開園できた、という話しでした。

 その甲斐あってか1年保育の幼稚園には子供たちが集まらず、団塊ジュニア世代の我が子の時でさえ、2クラスで20人いたかどうか、といった規模でした。
 その少人数のお陰でけっこう良い保育をしてもらいました。
 でもうちの子供が卒園して数年後には園児が集まらずに廃園になってしまったのです。

 民業圧迫ということで、親たちの願い空しく圧倒的に不利な条件で開園せざるを得なかった市立の幼稚園でした。

 で、あの時、周囲の民間幼稚園と保育料その他をまったく同じ条件に揃えていたら2年保育をできたかもしれませんが、そうなると従来からある市立幼稚園の保育料も値上げする結果になっていたでしょうね。

 もう一つは温泉の例です。

 街なかにスパとか薬湯とかの施設ができるのはかなり前からの話しですが、実は市が温泉を掘り当てて、ちょっとした娯楽の場ができたのは10年ほど前の話しです。

 でもその温泉、それほど良質というわけでもないのに入館料が結構高い。もっと足を延ばせば、その半分も出さないで、鄙びてはいるけれど湯の質は数段上の温泉に入れるというのに、なぜ? と、ここでも当然疑問が湧いてきました。

 この場合は先の幼稚園とは逆の話しで、結局、市内の民間スパの料金に合わせて、最初から高く設定した、というわけです。安い料金で、なるべく多くの市民に手軽に利用してもらおう、という話にはならなかったのです。

 郵便局の手数料の値上げの前にはこんな話があったなあ、ということですが。

 で、米国からの郵政リフォームに関するさまざまな要望、というより要求だ、いや命令だ、といろいろいわれているものを見ますと、文面を見る限りでは、ここに述べた民間幼稚園、民間スパの言い分と同じなんですよね。

 税金も民間と同額払え、とにかく少しでも民間より有利な条件を備えていてはいけない、と口を酸っぱくして言いつのっています。

 理屈はとても単純。

 大きさもいろいろで羽根の色も美しさもさまざまな鳥が互いに美を競う中に、ひときわ立派で目をむくほど綺麗な羽根を持つ鳥がいて、嫉妬に狂った鳥たちがその羽をむしり取ってしまうような場面を想像してしまいました。

 でもなんと言っても私が一番驚いたのは、郵政リフォームは完全に透明性をもって実施しろ、そのためには我々外資の意見も十分に、ではなく、十二分に聴け、というところ。

 そこのくだりは「年次改革要望書 『郵政民営化』部分」の項目「D」にあります。

「十分な」を意味する“enough”ではなく、さらに意味の強い“ample” が使われています。

 ええい、うるさい! 勝手なことはいわせんぞ! と啖呵が切れたらどれだけ気持がいいだろか、とも思いますが、外交は喧嘩ではないでしょ。

 政府は情報隠蔽と利権漁りにばかり狡猾にならないで、もっとしたたかに、もっと交渉上手になってくれ、と思いませんか?

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