名前こそ知ってはいたものの、ついぞその作品を見ることのなかった私は、この監督の映画にかけた生涯を初めて知りました。遅い、と笑う人も多いでしょうね。
子供時分、映画好きの母親に連れられて行った町の映画館で嫌な思いをしたり、割ったビール瓶を振り上げたスクリーンの中の喧嘩を見て怖いと泣いたり。そんな経験が、なんとなく映画館へ足が向かなかった原因の一つかもしれません。
生まれてこの方、いったい何本の映画を見たことやら。
それに映画を見るより本を読むのが好きでしたし、出不精でしたし。友人に誘われたり、よほど気の向かない限り、映画を見ることはなかったですねぇ。
それで熊井啓さんの映画もこれまで見たことありません。
それを、ちょっとばかりどころか、かなり後悔しました。学校を出て間もない頃『忍ぶ川』は話題になりましたし、『海と毒薬』は原作も読んでいました。が、ETV特集で紹介された映画のうち、なぜか気になったのが「帝銀事件・死刑囚」。
帝銀事件と死刑囚平沢貞通のことはもちろん知っていました。そして39年間獄中にあって、とうとう刑の執行がなされることなく死亡したことも知っていました。
なぜそんなことに? とも思いましたが、ただそれだけのことでした。
それが今、平沢氏のことをちょっと調べてみると、びっくりするようなことが色々あるんですね。
1995年4月、最高裁で死刑が確定してから平沢氏死亡後の1989年まで、実に19回再審請求がされています。ということは、それまで再審請求が18回棄却されている、ということ……。
そしてもっと驚くことは、なぜかくも長期にわたって拘留されながらも刑が執行されなかったのか? ということ。
判決の事実認定に問題があったので死刑執行をしなかった、と元東京高等検察庁検事長藤永幸治氏が語ったとか。
そして30数人に及ぶ歴代の法務大臣は死刑執行を見送ったとか。
それならなぜ再審を拒み続けてきたのか、なぜ殺人犯の汚名を着せたまま、疑わしいだけの人物を拘留し続けたのか。
そこには私たちの国の司法当局に内在する問題が隠されているのではないか、と思いませんか?
判決を受けた懲役囚を収容する刑務所とは異なり、「死刑をもって刑の執行」となる死刑囚の場合は、刑務所ではなく拘置所に拘置されるのだそうです。冷暖房設備もなく終始監視された「トイレサイズ」の独房に拘留されながら、画家は絵を描き続けそうです。
そもそも平沢氏に疑惑の目が向けられたのは、出所不明の金10万円を持っていたためのようです。昭和22、3年後の10万といえば、ずいぶんと大金で しょう。なぜそんな大金を持っていたのか、というとどうも春画を描いて得たお金のようです。裁判でもそのことが問われたようですが、画家の矜持か、頑なに 否定したのだとか。
もともと真犯人は元関東軍731部隊等に関わる人物ではないかと考えられていたのが、戦争責任の追及の免除と引き換えに研究資料を押収した事実の暴露を 怖れたGHQの圧力によって捜査の方向を変えざるを得なくなったことが推測され、そのことは公表された米国の公文書によっても裏付けられているようです。
そんな国家の都合でひとりの無実の人間が40年近くもの間死刑囚として拘留されて自分の人生を生きる自由を奪われていたとしたら。
おかしい? と気づきながらも、一度決まってしまった、というだけで問いなおすことを拒む正義justiceを執行する所って何だ?! と思う。
折しもこの熊井啓 戦後日本の闇に挑むの放送があった日の毎日には、NTTレゾナントの協力で行ったインターネット調査で死刑制度について質問したところ、 「存続すべきだ」が90%に上り、「廃止すべきだ」は10%にとどまったとある。
でもこうした司法の問題がある限りは、やはり死刑制度はあってはならないものだ、と思う。
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