か細い上ずったような声にびっくりしましたが、言ってる内容は“いかにも”なもの。
「世界の総所得に占める日本の割合は2006年、24年ぶりに10%を割り、1人当たりGDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中18位に低下した」
↓
「もはや日本は『経済は一流』と呼べない」
↓
改革が足りないからだ
というように結論していました。
むごいなあ。
こうした結論が酷いだけでなく、この女性大臣の存在感のなさ、風貌と声の痛々しさもまた酷い。本当にそう信じているのだろうか、という疑問が頭をよぎります。
単なる操り人形なのかな?
それとも見かけとは違って、ほんとうはもっとずっとしたたかなのかしら?
私も含めて年輩の人間には、60年代の高度経済成長の過程で所得は倍増し、生活がどんどん豊かになっていった記憶が強烈に残っています。
3種の神器といわれた電化製品がどこの家庭でも当たり前になり、一億総中流といわれるようになったことも。
同時に輸入農作物の価格も自由化でどんどん安くなって、憧れのバナナも身近なおやつになっていきました。。
東京オリンピックのあった64年にはレモンが自由化されたわけですが、当時ずいぶんと話題になりました。週刊誌のグラビアには、パックでもしているのか、顔にレモンの輪切りをたっぷりのせている写真が出ていて、日本人も贅沢になったなあ、と実感したものです。
アメリカのテレビドラマで知った豊かな生活を次第に自分たちも味わうようになってきたのが70年代、80年代、といったところでしょうか。
でも今の時代、どうもそううまくはいかないぞ、ということを私たちは経験してきました。
それを経済の専門家はどう説明するのか知りませんが、私たちがこの目で見たり聞いたりしてきたことは、働いても働いても貧しさから抜け出られない人たちがすごい勢いで増えてきたこと。
同時に自殺者もホームレスも激増したこと。
働いても働いても貧しさから抜け出られないということは、同時に、働けば働くほど他の誰かが儲けている、ということではないか、と思うようになりました。
かといって働くのを止めれば、即、死につながりかねない。細くてもなんでも、命をつないでいこうと思えば働き続けるより道はない。
こうした構図が地球規模でできあがっているのがグローバリズムではないかしら。
働けば働くほど、生産すればするほど、他の誰かが儲けている。
これが端的に表れているのが、キャノンをはじめとする大手メーカーで問題になった偽装請負などでしょう。 国外に目を転じれば、前エントリーでとりあげたエクアドル等の問題があります。
エクアドルの雨林から算出する原油100ドル当たり、石油会社の取り分は75ドル。
残りの25ドルのうち、4分の3は対外債務の返済。
4分の1の大半は、軍備をはじめとする政府支出。
公衆衛生、教育、福祉等に使われる資金は2.5ドルだけ。
ただしこの数字は『エコノミック・ヒットマン』が書かれた2004年以前のもの。
エクアドルも、いつまでも黙して耐えているだけではありません。
資源国有化の動きがエクアドルにも波及し、2006年にはエクアドル政府は米石油大手との契約破棄をして接収したり、外資企業に対して石油による利益の少なくとも50%をエクアドル政府の取り分として納入する、などと定めています。
「逆襲」という言葉が思い浮かびます。
これに対して、「米専門家らは原油価格の高騰を背景に資源を戦略利用する発展途上国の動きに警鐘を鳴らしている」のだとか。
私たちの国はいったいどうなるのかしら?
郵政問題、防衛問題、基地問題、エトセトラ。
アメリカとの歪んだ関係は、アメリカにとっても日本にとっても不幸だ、と思うのですが。
JAXVNさん、愚樵さん、すずめさん、ヘリオトロープさん、拍手コメントをありがとうございました。
JAXVNさん:考えてみれば、小泉元首相が「保守」と言われ「保守派」が支持する、ということ自体矛盾していると思います。あれだけ「改革」を連呼している人がなぜ「保守」なのでしょうか?そのことをなぜ「保守派」は問題にしないのか不思議です。
愚 樵さん:つねづね思っているのは、伝統という言葉を右派の専売特許にさせておくべきではないのではないか、ということ。護憲を主張する左派も、もっと「伝 統」と向 き合う必要があるように感じます。私見ですが、日本人の「伝統」と9条を支持する心情との間には親密な関係があるように感じています。
すずめさん:福祉や環境問題を語ると共産主義だ・・・とはビックリする考えですね。福祉や環境問題では、北欧の国家政策をもっと勉強したいと思っています。
ヘリオトロープさん:最近彼らの言う『日本の伝統』とは姥捨て山や口減らしの伝統のことかな、と思います。
等々のコメントをいただきました。
また近いうち、リベラルと「伝統」「保守」とについて考えてみようと思います
