松沢某が知事を務める神奈川県で、2013年度をめどに日本史を必修にするというニュースが報じられたのは、先週のことでした。
自国の歴史を学ぶというのはけっして悪いことではない、とはいえ、このニュースに不安をかき立てられたのは、教えられる日本史の中味に不安を覚えるからです。
それは根拠のないことではありません。
私たちの国は、19世紀の末からつい60数年前まで、日本は神である天皇を中心として国造りをしてきた。日本は神の国であるする皇国史観が子供たちに教え込まれてきたからです。
歴史はそのときどきの為政者の都合で、つまりその座の正当性と権力の源泉を主張するために、脚色されたり歪曲されたりしてきた、といっても言いすぎではありません。
古事記・日本書紀が描きだす神々の世界、記紀神話は、お話として楽しめばそれなりにおもしろい。ロマンもありますし、個々のエピソードの中には当時の人々の感性が息づいています。
ですがそのファンタジーの世界を歴史的事実として子どもたちに教え込んできたのが近代日本でした。
一昔前まで、ちょっと年配の人であれば、神武に始まる歴代天皇名をすらすらと暗唱できました。
もちろん、フランス革命などというものが世界に起こったことなど知るよしもなく、10歳になるかならないかの子供たちは、歴史の勉強と言えば、天皇名を懸命に覚えることだったのでしょう。
そうして神の国の日本が負けるはずない、と信じ込み、長じて男は戦場にかり出され、女は銃後の守りを言いつかる。
敗戦を経験したその世代が鬼籍に入り世代交代が進む中でも、戦前の統治がよほど己の利益と気分にあっていたか、天皇を中心とする神の国神話を政治・社会上の理念として掲げ、継承を目論む一団がありましたし、それを今に伝えようとする試みがなされてきたわけです。
そうしてできあがった一つが、あまりにお粗末な成立エピソードを持つ「つくる会」の教科書でしょう。
いつも面白いなあ、と思うのは、こうした戦前回帰・復古主義を唱える人ばかりでなく、共鳴する人までもが、それぞれ、自分は特別な存在であると考えていて、自分を統治する側に置くこと。
明らかに、あなたは統治をされる側でしょう、と思われる人でもそうは考えません。
一種の選民意識でしょうか、高揚感に浸り、自信がみなぎり、神の国を讃美して、自分たちに共鳴できない人はバカ呼ばわりします。
この国を愛し、この国の伝統を 愛でるのは自分だけだぁ、といい気分に浸って、酔っているのかなぁ、とよく思います。
こうなると宗教の域に入りこんでいる、といえるかもしれません。
エリートが、エリートをもくろむ人たちから非エリートの人たちまでをも巻き込んで、みなエリートと思わせる手法が効いています。
統治される側の人までもが統治している側にいると錯覚するのは階層構造があるからでしょうから、戦前回帰・復古主義に染まると、自分たちの下に、何か別の集団なり階層なりを想定するのかもしれません。
上見るな、下見て暮らせ、のような。
女性も戦前は参政権もなく、家制度の下では妻は禁治産者扱いでした。
常に見下せる誰かが自分の下にいる、という社会構造はネズミ講のようなもの。どこかで破綻が来るのではないかしら。
でも、いつになっても、これに惹かれる人が後を絶たないですね。
