7日の金曜日、BBCニュースには日本の捕鯨に関して、ちょっと興味深い記事が載っていました。
タイトルは「なぜ日本はクジラ漁を続けるのか?」
BBC記者が、千葉県南房総市和田港まで行ってレポートしています。
和田港は商業捕鯨が認められている国内4港の中の一つ。調査捕鯨には参加しないで、国際捕鯨委員会(IWC)によって保護されていない種の沿岸捕鯨を行っているところだそうです。
2006年のものですが、こちらに和田港で水揚げされたクジラの解体作業の写真があります。
今回初めてこの沿岸捕鯨のことを知ったのですが、同じ日本人でも私のように知らなかった人はたくさんいるのではないでしょうか。
BBCは、かなり誠実にこのクジラ漁の問題を取り上げようとしているように思います。
魚を取ることと鯨を捕ること、どこがどう違うのだ? 違いはしない、というクジラ漁師の言葉にうなずく日本人は多いかもしれません。
捕鯨基地の小さな町では、捕鯨問題は保護問題ではなく主権の問題だ、と受けとめられていることを海外の反対派は理解できるでしょうか?
俺たちの海で、いったいどこの誰が、何をとってもいいとか、だめだとか指図ができるのだ、というクジラ漁師のいらだちが聞こえてきます。
しかしこの理屈は、遠い南氷洋では通じませんね。
捕鯨については、沿岸捕鯨と遠洋捕鯨に分けて考える必要があるのかもしれません。
また記者は、
「持続可能なやり方で捕鯨を行うことが可能ならば、彼に鯨を捕るなという権利が誰にあろう? (誰にもありはしない」
と言ってます。
ところが、この持続可能なやり方の根拠も、反対派の言い分と日本政府の言い分が食い違っていて、どちらが正しいのか私には分かりません。
いずれにしても、調査捕鯨という日本政府の言い分にはどれだけ正当性があるのか、海外の反対派に対してだけでなく私たち国民にも、きちんと示してほしいと思います。
BBCニュースの記事は以下に訳しました。
国際捕鯨委員会IWCが捕鯨賛成・反対の国々の間の合意点を探るために開催中、BBCのクリス・ホッグは、鯨肉食をやめるきざしのない日本の町からレポートする
日本人がクジラ漁をする理由を知りたければ、数少ない小さな海沿いの町のひとつに行く必要がある。
その小さな町は、まるで海に落ちまいとするかのように、町を取り巻く急勾配の丘にへばりついていた。
漁船が、ちっぽけな港の岸に係留されている。そばでは男たちが数人、魚網を繕っている。
国際捕鯨委員会は商業捕鯨を禁止しているが、クジラの全種類がその規定対象になっているわけではない。
しょうじ・よしのりはこの町のクジラ漁師だ。毎年14頭を捕る。
しょうじさんの捕るクジラのほとんどがツチクジラだ。約20キロ(12マイル)の沖合でこのツチクジラを見つける。
日本政府が漁獲を割り当て、夏の3ヶ月間に限って漁ができる。
昨年の夏、合計26頭のクジラが和田に水揚げされた。
しょうじさんの鯨肉加工場に運ばれて乾燥鯨肉、クジラハンバーグ、クジラステーキ――取引先が望むものであれば何でも――に加工される。
営利企業
しょうじさんは彼の工場で働く人と比べてもすごい長身で、日本人の基準からすると大男だ。
彼はソフトな語り口だが、自分の考えを理解してもらおうという決意している――喜んで捕鯨の是非を論じるが、捕鯨慣行を止めるべきだということは受け入れない。
彼は工場のあちこちを私に見せる。
濃紅色の鯨肉の巨大な塊を薄く切っている2人の女性の前で足を止める。
血が、女性たちのビニールの前掛けを伝って床に落ちる。
このひとまとまりの肉は醤油と酒に漬け込まれた後、乾燥されてジャーキーになるのだ。
「九州の人たちは、新鮮なクジラの肉が好きです」としょうじさんは口を開き、日本の南部に住む人たちのことにふれる。
「この辺りでは少し風味のあるものが好まれ、それで私たちはクジラの死骸を岸まで持ってくると、冷凍用に切り分ける前に1日間そのままにしておきます」
毎年、夏に穫れた肉は貯蔵されて、必要なときに使われる。
しょうじさんは大きな金属製のドアを開けて私に見せてくれた。中は箱詰めされた冷凍鯨肉の山だ。
その一部は、マッチ箱ほどの大きさの、一定の塊に小さく切られたミンククジラだ。
日本クジラ類研究所が南極大陸沖の海で穫ったクジラだ。しょうじさんはそれを買う。売り上げは日本の調査捕鯨プログラムの支援資金に使われる。
「私たちは刺身に使います」と彼は話す。
世界中で、例年南極でクジラを取ってはその数を減らし、また日本の沿岸でクジラを捕るあなたのような漁師の活動に反対がありますが、と私は彼に質問をした。
「私には、漁業と捕鯨の違いが分かりません」と、彼は私に答える。「私たちは、400年の間クジラを食べてきましたが、鯨を捕ることと魚を捕ることが、どう違うっていうのですか?」
絶滅危惧種
しょうじさんは、死滅を防ぐために保護が必要な種があるという主張は認めている、という。
たとえば、シロナガスクジラは捕るべきではないと。
しかしミンククジラは豊富にいると考えていて、日本沿岸で何が捕れれて何が捕れないか、どうして他人が自分に言えるなのか分からない。
日本の捕鯨を中断させようとする環境運動の活動家たちについては、「寄付をもらうために有名になろうとしているだけだ」と主張する。
けれど話しながら、しょうじ氏にとって、これは伝統とか経済とかの問題ではないことがはっきりする。
彼は、捕鯨を擁護するのに伝統のことだけを言っても、種が危機に瀕しているときに続ける理由としては不十分ですね、と説明する 。
女性がふたりで肉の塊を薄切りにする小さな部屋をひと回りしながら、彼は手ぶりで示す。経済的な議論は、どうみてもあまり説得力はない。
けれど持続可能なやり方で捕鯨を行うことが可能ならば、彼に鯨を捕るなという権利が誰にあろう?
「道理の問題です」と彼はいう。「海外から圧力を受けても、日本政府は捕鯨から撤収すべきではありません」
文化の一部
あとで私は、捕鯨の授業に参加するために呼ばれている町の学校に連れて行かれた。
捕鯨問題に関して日本では公開討論はあまりないが、ここでは子どもたちがクジラ漁のやり方について、きめ細かい議論をしている。
「クジラを殺すのは残酷だと考える人たちがいるのは知ってます」と生徒のひとりが私に言う。「それが、捕鯨に反対する理由です。でも私はここで生まれました。私たちの伝統ですから続けるべきだと思います」
授業が続く中で、世界には捕鯨への反感が少なからずあることに子どもたちは気づいていることが明らかになる。
しょうじ氏、あるいは教師は、そのことを子どもたちに隠そうともせず、彼のすることは間違っていないと認めさせるようなこともない。
とはいえ、教室にはクジラの絵や子どもたちのお気に入りの種類のスケッチが飾られているけれど、他の国々で見られるのと大差なく、子どもたちはクジラは食べ物であると受けとめているようだ。
確かに、日本政府には他の国々の捕鯨反対派にそのことを分からせようとする努力が足りないと、いくぶんフラストレーションを感じていることをしょうじさんは認める。
東京に戻って、水産庁の役人に質問したのがその点だった。彼は肩をすくめた。
「グリンピースのような組織は活動に何百万ドルと使うんだ」と彼は私に述べる。「われわれがそれに張り合って、納税者たちに税金をのふさわしい使い道だと、どうやって正当化できますか?」
クジラを捕る権利があるとする日本の主張は、海外で、とりわけオーストラリアのように頑強に反対する国々で、日本の印象を害している。
しかし、和田のような所で政府が主張を放棄するのが難しい理由がわかる。
ここでは保護問題としてではなく、ほとんど主権問題として見られているのだ。
それで、捕鯨を止めさせようとするどんな試みも、怒りを招くことになるだろう。
