世界中で極右の嵐が吹きすさぶような、そんな社会にしてはいけない。
オランダの極右政党自由党の党首ウィルダース下院議員が、過去の大きなテロ事件とイスラム教の教えを結びつけた『フィトナ(闘争)』と題する短編映画を公開してイスラム世界の反発を招いているようです。
映画『フィトナ』そのものも 、「アラビア語に興味があります」さんによれば、誤解と曲解に基づいて編集された内容になっているようです。
こちらによると、ウィルダース下院議員よりエールを送られたデンマーク、ラスムッセン首相は、
首相及びデンマークは表現の自由を大切にするが、ヘアト・ウィルダースが描く価値観や視点を共有するものではなく、これとははっきりと距離を置くとし、信仰や民族的背景によって一定のグループの人を悪者とするような発言、振る舞い、表現を非難する。
と、公式にコメント。
また国連の潘基文バンギムン国連事務総長は、
不快なほど反イスラム的な映画の放映を最大級の表現で非難する。
差別発言や暴力の誠意道は正当化できない。表現の自由の権利の問題ではない。自由は常に社会的責任を伴わねばならない。
隔たりはイスラム教徒と西欧社会の間にあるのではない。少数過激派の間にあるのだ。
等と、声明で述べたそうです。
かつての日本は、大戦前夜も、戦争が始まってからも、きっとこんな風にメディアも社会も「自主規制」をしていって、自由と民主主義をどんどん譲り渡していったのだろうな、ということが実感として迫ってきます。
「表現の自由は尊重されるべきで残念だ」と述べる稲田氏は、してやったり、と今頃にんまりしているでしょうか。
町村官房長官の上映中止についてのことば。
いろんな嫌がらせや圧力で表現の自由が左右されるのは不適切だ。
同じく町村氏の稲田氏の行為についての言葉。
稲田さんは言論の自由はしっかり護られるべきだとも述べており、そのことが上映中止につながったとは考えない。
こうも白々しくって軽い政治家の言葉。
町村氏も稲田氏の目論見どおりにことが進んでいることを分かっているくせに、優等生的な一般論で言い逃れをしている。。。
デンマークのラスムッセン首相や国連の潘基文バンギムン国連事務総長の具体的な言葉といい対照です。
試写会を要求した稲田氏は、事前検閲ではない、助成金の支払いが妥当であったか否かだと主張しますが、この方の日頃の言動から考えれば、何を意図していたのかははっきりしています。
神道と靖国を奉じるものとして、神の国の住民として、帝国と皇軍の過ちは一切認めない、というスタンスでしょ?
そんな自分の姿勢にちょっとでも触るようなことがあれば許さなーい、という不寛容の持ち主でしょ?
日本の神さまというのはそんなにケチで狭量なものなのか、とよく疑問に思うのですが、それは稲田氏たちが勝手に思い込んでいる神さまのせい?
こうした不寛容な考えに立つ人たちは、自分たちとは相容れないものあれば徹底的に排斥・排除して、社会的に抹殺しようとしますが、民主主義はそんな不寛容さまでも内にかかえ、存在を認めざるをえないですよね。
悪意のあるものがいれば、民主主義はいつでもその内側から攻撃可能なわけです。
自分たちは見境なく民主主義に寛容さを要求しても、自らが示す寛容さは最低限のもので、敵と見なしたものにはこれっぽっちの寛容さも許さない、というのが、“極”の字がつく理由かな?
