ほんとうに子どもたちのことを考えるならば、別のやり方があるはず、高市早苗さん
報道2001らしい。
日曜の朝、家人のつけていたテレビに高市早苗氏が映ってました。
この人が出てくるときは要注意だ、と思って家事をしながら聞き耳を立てていると、どうやら学校裏サイトとネットいじめがテーマのようでした。
被害者らしき若者が何人か登場し、たびたび高市氏の顔が画面に大きく映る……胸騒ぎを覚えながらも不愉快さに耐えられず、サンデーモーニングに切り換えました。
学校裏サイトで理不尽ないじめにあった話しは、きっと本当の出来事で、ごく普通の中高生たちがネット上で同級生を陥れたり陥れられたりする現実は、たしかに今の社会の現実なのでしょう。
DISAMOND on lineには、そのあたりの事情が説明されています。
しかし被害にあってテレビカメラの前で自分の経験を口にする若者の前で、救いの女神のような顔をしてしたり顔で語る高市氏の姿に、なんとも違和感を感じてしまいました。
ニコニコする高市氏は、自分を中心にしてとりまとめたネット規制法案に大いに満足して、それを宣伝する目的でテレビ出演したのでしょうし、その宣伝に一役買うのがいつものフジテレビ、というとても分かりやすい構図。
で、この法案の問題点等についてはさまざまなところで取り上げられていますが、ヤメ蚊さんの所にも。
こちらでは自民党議員からも問題の指摘が相次ぐほどの“悪法案”ぶりが言われています。
萩生田光一内閣部会部会長代理が「基本的には、この法案が自民党の考え方である」と述べたそうですが、そんなことで、どこが「自由」で「民主」なのか、党名を変えて分かりやすくしてください、と腹が立ちます。
学校裏サイトのいじめの実態を訴えることでネット規制を容認させる世論を作り上げようとする高市氏の、規制すればことたれり、という認識は、そもそも「自由」と「民主」に反するでしょっ。
明治生まれの義母でさえ、人の口には戸は立てられない、と言ったものです。
物言わぬは腹ふくるる思いで、王様の耳はロバの耳よろしく、自民党は○○だ~、高市早苗は○○○だ~、と穴掘って大声でわめきたい誘惑にかられそう。
子どもが学校裏サイトでいじめられたら、私だったらどうするだろうか、と考えながらも、ネットいじめ対策を口実にした高市氏の卑しい動機にどうしても関心が行ってしまいます。
いつの時代も、ひとたび権力を握ればいかにそれを維持していくか、ということばかりに腐心する人の多いこと。自分ばかりが正義だ、とばかりに規制強化に乗り出す人が多いのには呆れるのですが、このごろ目につくのが、一連の女性議員たち。
一種の広告塔なんでしょうかね。
西のアン・コールター、東の高市早苗……なんて持ち上げるのもイヤだな。
育児と老親の世話に関して、経験者が語るのは圧倒的に悔やむ例が多い。
うまくやった、私はとてもいい娘だったとか母親だったとか話すのを、私は聞いたことがありません。みな、あの時こうすれば良かった、ああすれば良かった、という後悔ばかりです。
で、私が子育てについて後悔するのは、なんといっても当の子ども、つまり我が子の言いたいこと、言っていることに耳を傾けなかったこと。
もっと時間をかけて、子どもの背丈に合わせて腰を下ろし、相手の口から少しずつでも言葉が出てくるのを待つべきだった、と昔をふり返るたびに胸がチクッと痛みます。
ネット規制をする前に、教師や親もいっしょに、携帯電話そのものについてもネットの利用についても、じっくりと子どもたち自身に考えさせて、話し合うこと が大切ではないでしょうか。ましてや携帯電話を利用する年齢になれば、考えること話し合うことこそが必要ではないでしょうか。
権力で規制を押しつけるのは簡単ですが、実際の効果は怪しい。むしろ、百害あって一利なし、になる可能性大。
大事なことは、自立した人間が自己を律しながら自分の行為・行動を決めること。この、自立した人間に育てるのが教育でしょう。
携帯電話を持つ年頃になれば、ケータイやネットについて導入前も導入後も、友だち関係から社会との関係までも子どもたち自身が考え、大人の懸念も伝えることが必要ではないか。
これには当然時間も手間もかかるが、規制だけでこと足れりとするのは、あまりに安直で「教育」の名に値しないのではないか。
と、まあ、そんなことを考えました。
ほんとうに高市氏が子どもたちのこと教育のことを憂えているならば、そう考えるのではないか、とも。
まあ、この方は子どもを育てた経験はないでしょう? とは言いたくありません。世の中には子どもを持たずともずっと愛情の溢れた人たちがたくさんいます。
それに大人は必ず子ども時代を経験しているわけですから、分からないときは自分自身に聞けばいいのです。
とにかく高市早苗さん、ネットいじめ対策をきっかけにして一般の市民に規制をかけよう、というのでは、ネットで被害にあった子どもたちへの、まさに冒涜になるのではありませんか。
