医療費増に高齢化の影響はないし、医療費は野放図には伸びない、とは医療経済学の常識らしい
今日17日の毎日によると、高齢化や終末期医療を医療費増の原因とする説には根拠はない、と医療経済学の専門家は明言するそうです。
高齢化が医療費を増やすように見えるのは見かけの関係で、医療費の増加率は国民所得の増加率で決まるとは、米国の医療経済学者ゲッツェンの研究成果らしい。
で、このことはどの国でも成立するそうで、結局、医療費の額は、社会のパイの中からどれだけ使うかという政治的な判断で決まる、ということです。
で、先進7か国の中で日本は最も高齢化率が高いくせに、国内総生産(GDP)比でみた医療費は最も少ないんですって。
持ってるくせに使わない、要するにケチ。道路にはじゃんじゃん使うけれど、医療費には使わない、というのが日本政府の政策スタンス、ということになりそうです。
2002年の死亡者の死亡前1か月の医療費は約9,000億で、国民医療費の約3%。
患者の8割は軽い病気で、使っている医療費は2割ほどなので、風邪などの軽い病気を保険の対象外にするというのも大した削減効果はない。
2025年度の国民医療費が現在の倍の65兆円になる、という政府の主張もまやかしのようです。
今から17年後に、同じ100円で何が買えるのか、誰にも分からない、ということ。
おまけに、この厚労省の試算65兆円も、日本医師会の試算では49兆円。
行政の試算というものがいい加減なことは、すでに私たちは経験済みです。
国も地方自治体も、なにかイベントをしよう、空港を作ろう、等々言い始めると来場者数や利用客数の予想をぶち上げますが、それがあたらないことなんて、ほぼ常識。なぜって、始めに計画ありきだから。
巨額の予算を使って計画・遂行するには、来場者・利用客をどれだけ集める必要があるか、ということからはじき出したのが予想数ではないか、と私は理解しています。
ですから予想来場者数・予想利用客数ではなく、希望来場者数・希望利用客数ではないか、と。
それでも国民のため、住民のためであれば、それでよいのです。そもそも、利益を見込めないが国民・住民の福祉、つまり公共の福祉のために必要だ、ということで公的な事業が認められるわけですから。
ところが、今、私たち有権者/納税者は、ほんとうに公共の福祉のためにこれだけの、あるいはそれほどの税金が使われているのだろうか? と疑念を抱いているわけです。
で、出てくる資料といえば、この疑念を補強するものばかり、ということになっているわけです。
政治不信、ここに極まれり、というところで、それでも相も変わらぬ政府の対応にほとほとイヤになるのです。恥の上塗りではなく疑惑の上塗り。
とにかく、
25年度の65兆円は国民所得の12~13.2%と推計されるが。04年度でも医療費は国民所得の8.9%。経済成長で国の「財布」の大きさも変わるため、名目額は倍増でも実質額はそれほど増えない、
と専門家は説明しています。
なんでも、「このまま医療費が増え続ければ国家がつぶれる」という「医療費亡国論」は83年当時の厚生省保険局長故吉村仁氏が唱えたそうです。
84年には事務次官となり、86年に退官。同じ年56歳の若さで亡くなったようですが、病身をおして今に至る医療改革に邁進した、と聞くと何やら硬骨漢ぽく思われますが、「武見天皇」と呼ばれていた武見太郎の死去(83年)で、“医療改革”断行が可能になったのだとか。
無料だったサラリーマンの医療費を2割負担にしたのもこの吉村氏の功績? だったそうです。
そういえば、うっすらとそんな記憶が引き出されてきました。
この厚生官僚吉村氏と医師会会長武見太郎氏との衝突がある前から、新聞等でなにかと武見太郎氏の傲岸不遜ぶりが話題になってましたし。
おふたりとも、もうほとんど伝説上の人で実際のところはよくわかりません。
でも25年かかって、今の医療崩壊に至ったのは事実ですね。
こちらに当時の事情が記されています。
7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。
こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。
