18日のデモクラシー・ナウについて、まだお伝えしていない部分がありました。
拷問はいかしして合法とされてしまったか、という問題の箇所です。
グアンタナモの拷問問題は歴史の中の、ずっと大きな物語の中の一幕よ。基本的には司法省にいる一握りの法律家たちの手で、9.11直後から(グアンタナモでの拷問は合法であるといわれたような)こうした正義を正当化するための法の再解釈が始まるの。
とジェーン・メイヤーはデモクラシー・ナウで語ります。
このとき彼女が名前を挙げたのが憲法学者ジョン・ヨー。米政府に捕虜を虐待しても良い、というメモを出した人物だそうです。
ジェーン・メイヤーの話しでは、ジョン・ヨーが司法省法律顧問室次長という立場でホワイトハウスに出したメモを注意深く読んでいくと、国家の安全保障に関しては大統領は法にまさり、拷問が必要であれると大統領が考えれば拷問も合法になると容易に言える、と述べているということです。
で、ここのくだりを読みながら私はまるで首相在任中のコイズミ純一郎氏そのものではないか、とつい考えてしまいました。3年前の衆議院解散を含めて、彼はずいぶん無茶をしましたよね。
その後のアベ氏も、コイズミ氏の独裁的手法を学んだ、自称最高権力者でした。
国を守るためには大統領はなんでもできてしかるべきだ、と米国司法省の法律家たちは考えたようですが、そういえば首相在任中のアベ氏は、そのHPに大きく「この国を守る」と掲げていました。
まるで「国を守る」といえば何でも許されるみたいに。
国を守る、という標語は、免罪符じゃないでしょっ、とひと言いいたい気分でした。国を守るとはどのようなものなのか、その内容が問題ですよね。
話しを元に戻しますと、2006年にブッシュ大統領が安全だと言いはなったCIAの尋問プログラムによって殺された人物が2人いたそうです。1人は元イラ ク軍の大物で、肋骨が折られて呼吸ができなくなったのが死亡原因とか。米軍とCIAに捕まったときは健康そのものだったといいます。
もう1人は、まだイラク戦争の始まる前にCIAに捕まってエジプトに送られた人物。
大量破壊兵器はどこにある?
アルカイダとサダム・フセインにはつなが りがあるのか?
と訊かれても、彼には全然分からなかったそうです。それでも、拷問に耐えかねて、尋問官の望むがままににしゃべったのだとか。
そのしゃべった内容が、米軍のイラク侵攻が始まる5週間前の2003年2月5日、イラク戦に向けた重要なターニングポイントとなるコリン・パウエル国務長官(当時)の国連演説になるのです。
この国連演説の1年後、この拷問の犠牲者は、死を前にして発言を撤回します。
そもそも拷問されて自白した内容は納得いくような詳細さをまったく欠いていたため、国防情報局DIAは疑ってかかっていたが、パウエルには知らされなかったのだという話し。
泥沼のイラク戦でどれだけの犠牲が出ていることでしょう。
兵士はもちろんのことイラクの民間人の犠牲は死傷者だけでなく戦禍で住む土地を追われたり脱出した人のことを考えると想像つきません。そして生き延びた人たちの悲嘆。荒廃した国土……。
知らされなかったからといってパウエル元国務長官に責任がないとはとても言えないと思います。再解釈そのものに疑問を持たなかったのもおかしいですし、拷問の結果得られた間違った情報だ、ぐらいのことは推測できたのではないでしょうか。
そしてまたコイズミ純一郎首相(当時)のことを考えれば、この拷問から得られた情報に待ってましたとばかりに飛びつき、ブッシュ支持、イラク戦支持の口実に大いに利用したわけですから、その軽さをあらためて問われるべきではないでしょうか。まったく、恥ずかしいほどの軽佻浮薄。
大統領以下、政権中枢にいた、あるいは現在もいる人たちのこの責任問題がアメリカでこれからどうなっていくのか、ちょっと興味が惹かれます。CIAの尋問 官の処罰だけで終わるなどというトカゲのしっぽ斬りにならないことを祈ってます。まさか、それもないとか? まさか……
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