大沼安史さんのところで知った米国のフリーランス・カメラマン、ゾラーヤ・ミラーさん。

 イラク戦争の従軍写真取材はベトナム戦争時と比べ物にならないほど厳しく制限されて米国民、そして世界の人びとの目に、戦争の惨たらしい実像が届かないよう、徹底した報道管制が敷かれているそうです。

 そのゾラーヤさんが自身のウェブサイトにイラク、ファルージャでの自爆テロ現場写真を掲載した後、イラク駐留海兵隊の司令官、ケリー少将から取材禁止を申し渡され、イラク及び全世界での米軍同行取材が全面禁止されたのだとか。

 ゾラーヤさんの写真集です。イラクのものはこちら
 画面下の国名を選択してスクリーン下の丸ボタンにカーソルを合わせると、見ることができます。

 デモクラシーナウ!で、ことの経過をゾラーヤさん自身が語ってます。

 イラクに行ってすでに何週間か過ぎた6月26日、それまでは米陸軍の軍事拠点があるサドルシティイから情勢を伝えていたのですが、ゾラーヤさんはその日初めて海兵隊に同行して取材することになりました。そのパトロールの最中、ラジオで自爆テロ自爆攻撃を知り、現場の市議会にかけつけて撮った写真が上記のもの。

 むごたらしい写真の中で、私には、衝撃を受けた若いイラク人兵士の写真が印象に残ります。

 まるで生身の人間であったことを忘れさせるような、あまりに酷い写真は、心のどこかで拒否をしているのかもしれません。
 でも、現実の話しなんですよね、みんな。
 それに、人の絶望的な抵抗の表れでもある「自爆攻撃」は、やはり戦争の産物でしょう?

 負傷したり殺されたりした海兵隊員の姿をブログに投稿して米軍を危機にさらしたという理由でイラクから追放されたゾラーヤさんの事例を見ていくと、米軍の広報は、自軍のむごたらしい犠牲を撮った生々しい映像が世間の目に留まるのを怖れているのがよく分かります。

 まちがっても、イラクの人々の無惨な犠牲を怖れているのではありません。
 ましてや、悲惨な映像を青少年の目に触れさせて衝撃を与えてはいけない、などと見当違いのことは考えていないのだと思います。
 
 私たちの国でも、こうした戦争の酷い一断面はいかにも青少年向けにフィルタリングの対象になりそうですが、ある程度の年齢に達したら、やはりそんな感傷は排して、事実は事実として伝えるべきでしょう。
 ことに、軍隊のリクルートの対象になるような年齢の若ものたちには。

 米軍の広報当局が怖れるのは、兵士のリクルートがいっそう困難になること。
 それで、海兵隊と判るような迷彩服や靴を撮すな! 撮したカメラもメモリーカードも差し出せ! ということになったのでしょう。

 では、このゾラーヤさんの出来事を簡単にまとめましたので、どうぞ。

 自爆攻撃の犠牲者は20人の民間人と3人の海兵隊員。
 海兵隊はこの手の、つまり海兵隊自身が負傷したり殺されたりした情報が表に出るのを嫌うのでジャーナリストは現場から排除されることが予想された。急いでシャッターを切る。その間、5分だったか、7分だったか。

 1時間半か2時間、缶詰にされていた装甲車両の中から現場に戻ると、もはや撮影は許されなかった。

 その日、基地に戻るとゾラーヤさんはメモリーカードを消去するから渡せ、と海兵隊員に命じられるが、それを拒否。
 30日の夕方、ブログにアップを終えた数時間後には渉外担当将校からブログを丸ごと削除するように要求する電話を2度にわたって受けとる。

 この削除要求の理由は、負傷したり殺されたりしたものが海兵隊員であることが迷彩服のズボンや靴で分かるから、というもの。
 
 同行取材の規則には、被写体が海兵隊員であると判るのを禁止するものはない、とゾラーヤさんは主張し、軍側と押し問答。

 その後キャンプ・ファルージャに連れて行かれた。結局3日間そこに留め置かれ、ケリー少将に会わせると言われたが、1度目は2時間、2度目は1時間半待たされただけで少将が姿を見せることはなかった。

 3日目、ヘリコプターでグリーンゾーンへ連れて行かれ、国防総省DODの全軍事作戦でブラックリストに載せることを海兵隊が要求していることを知らされるとともに、事態が解決されるまで待機するように申し渡される。

 3日後、バグダッドの米大使にディナーに招待され、そこで渉外担当の上級将校たちが彼の処遇について検討中であること、海兵隊は彼が同行取材違反したという事実を見つけられなかったこと、等を知らされる。

 同行取材禁止の通知には「米軍兵士の遺体を撮影」「詳細な説明とともにそれらの写真を投稿」「ニュース・メディア協定違反」等の言葉が記され、さらには「イラク駐留の全米軍をこれまで以上に危機にさらした」という文言もつけ加えられていた。

    ***以上***

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