↓ 仏様のお膳の道具を入れている箱です。幅と深さがぴったりなので私の知らない昔から使ってきたようです。一つ一つの椀や鉢や皿に精進料理を実際に盛りつけてお供えします。

台湾キャラメル1        台湾キャラメル2

 で、この箱は明らかに戦前のもの。渡邊製菓は60年頃、林家三平が「わたなべの、ジュースの素です、もういっぱい」と宣伝していた頃までは知ってますが、いつの間にかその名前も聞かなくなりました。

「台湾キャラメル」はもしかしたらバナナ味でしょうか?
 この箱に、子どもたちが手にするキャラメルの小箱がいったい何ダース入っていたのかしら、と考えると、かつての子どもたちの喚声が聞こえてくるようです。
 当時こんなキャラメルを手にしたおかっば頭や坊主頭の子どもたちの心は、きっと、今の有名パティシエの作品を目の前にしてワクワクする子どもたちのそれと変わらないかそれ以上だっただろうな、と想像しています。

 さて、夫の母方の叔父は2人、戦争中になくなっています。1人は仕事で渡ったテニヤン島で、もう1人は徴兵されて南方へ向かう輸送船が撃沈されて。

 テニヤン島で息子が死亡したとの知らせを受けとった父親は、すぐに駆けつけたものの(船便ですからどれだけかかったものやら)、息子の死亡原因を知ることはできなかったとか。
 輸送船で死亡した叔父は、戦地に赴く前に懐かしいわが家へ短時間の帰宅が許されて最寄りの国鉄駅を降りたものの、途中で時間がなくなって実家を見ずに隊へ戻り、そのまま海に消えたのだと聞いています。

 夫たちは、幼い頃からそんな話しを何度聞かされてきたことでしょう。

 今朝のテレビで、当時の役場の担当者が敗戦時の廃棄命令に背いて密かに赤紙を自宅に隠していた話しがありました。

 滋賀県長浜市で戦争に関する貴重な一次資料が残されていることが分かった。市町村合併前の旧大郷村役場で昭和5 年から終戦まで兵事係をしていた西邑仁平 さん(にしむら・にへい 103歳)が、自宅に秘かに保管していた兵事資料だ。資料は徴兵事務を取りまとめた「兵事ニ関スル書類綴リ」、召集令状の交付記 録など1000点あまり。日本各地の市町村にもあったはずの兵事資料はそのほとんどが敗戦直後、軍部の命令で焼却処分され、これだけまとまった形で残って いるのは大変珍しいものだ。この資料を読み解くと、国家が国民をいかに掌握し、戦場へと送り込んでいったかがわかる。徴兵書類には人相体格、思想信条、収 入、特技などの個人情報が徹底的に把握されている。各連隊司令部ではこれらの情報をもとに、召集令状「赤紙」を作った。西邑仁平さんは兵事係として徴兵検 査事務から赤紙の配達、兵士の引率、死亡告知から村葬に至るまで切り盛りしていた。番組では貴重な資料と、仁平さんや旧大郷村の人々の証言で、村人がどの ように戦場へ送られ、戦争と向き合ったかを明らかにする。

 

 番組に登場された方の1人は、7人(8人だったかもしれません)兄弟の末っ子で、実に5人のお兄さんが戦死されたということでした。子どもたちに次々と赤紙が届いたとき、お父さんは配達した仁平さんといっしょに泣いていたそうです。

 そうだよね、そうなんだよね。
 受けとった父親は身を切られるように辛いでしょうし、配達するものもまた辛いんだよね。

 
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