昨日15日はお墓詣りと夫の叔父や叔母のこれからの生活の参考にと、さるグループホーム(宅老所)の見学に行っていたので、今日は朝から昨日作ったおはぎ4種をその叔父や叔母に届けてまわりました。

 自宅にいたものふたり、そして入院中のものひとり。
 毎年3回、恒例のイベントです。
 届けながら、少々長居して、いろいろ話を聞きます。すっかり弱った身体を嘆くのや昔話を語るのにまかせて。
 で、叔父には、昨日のエントリーに書いた、撃沈された輸送船とともに命を落とした弟さんのことを尋ねてみました。

 何歳だったの? 16歳だよ。

 志願だったの?

 表向きは志願だったけれど、実質的には強制だよ。煽られてね。
 高等小学校を出て養成工で働いていたとき青年学校で教育されてね、志願せずにはおられないような状態になるんだ。

 青年学校

 うん、あったんだよ。

 海軍に志願して……航空隊に行ったのは選ばれたものでね、弟は航空隊には行けなかった……死ぬ前に一度、会えるところだったけど、自宅を目前にして時間がなかったから急いで引き返したんだ、部隊のあった佐世保に。

 戦後の特効薬で命拾いして84の今でも健在なこの叔父は、当時結核で伏せっていたため兵役を免れました。
 まさに「塞翁が馬だよ」とは叔父自身の言葉。

 そしてこの結核は、大阪の紡績工場に働きに行って感染した実姉からもらったもの。

 だからといって、当時女工が軒並み結核に感染するような劣悪な環境の紡績工場のお陰で叔父が命拾いをした、というわけではありません。

 産めよ増やせよの結果、替えはいくらでもいる、とばかりに人を人とも思わぬ条件で働かせるのも、兵隊にとって死地に赴かせるのも、当時の社会構造の中から必然的に生まれた“悪”でしょう。 
 それが証拠に、兵役を免れた有力者の子弟の話しも時々耳にしますし。あの白洲次郎が召集されそうになったときどこかに泣きついて兵役を免れた話しもありましたね。

 かつての青春を物語る言葉が、ちらほら叔父の口から飛び出します。

 養成工、青年学校、航空隊、紡績工場、結核、それに志願(兵)……志願の形をとりながらも実は志願に追い込まれていく、実質“強制”の巧妙な仕組みと教育。

 ごく一般的な若ものの暮らしの一端がうかがわれます。

 私の父の青春には、甲種合格、2.26、満州、さらに2.26の後送られた満州の最前線で、連日、死ね死ね! という言葉を浴びせられたこと等々があげられます。

 こんな青春があるなんて! 話しに聞くたび憤りを覚えます。悲しいだけじゃない。

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