ははははは、と笑ってしまいました。

 オーストラリアでの出来事。

 州政府の閣僚がパーティで裸踊りをして、結局、辞任に追い込まれたという話しです。
 BBCの見出しは「‘ブリーフパンツ’大臣 失職」。

 件の閣僚は州警察相でしたが、3か月前の事件当時は州住宅相。 
 当初は本人も強く否定していたそうですが、ことの報告を何人からも受けた州首相は、「無視できず」に辞職を勧告。
 当人も否定しきれずにとうとう辞職。
 記者に囲まれ、人間だから過ちを犯すこともある、と述べながら、穴があったら入りたい状態だったようです。

 なぜそこまで問題になったかというと、場所が場所。
  パーティは州議会の自分のオフィスで開かれたもので、そのパーティもいってみれば「ランチキパーティー」をうかがわせ、緑のカウチの上でテクノミュージッ クにあわせて踊ったときのいでたちはビキニスタイル("very brief" とありますから)、しかもオフィスの女性スタッフもいっしょに踊ったのだとか。

 そりゃあ、問題になりますよね。

 こうして元弁護士で大学講師のこの方は議員になって9年。大臣職を棒に振ったということですが、政治家としての将来がどうなるかは、まだはっきりしないそうです。

 まあ、このニュースなど、羽目を外しすぎて世の人々が目を剥いた、という単純な話しです。

 さて、国内のニュースで驚いたのが、「法治国家の秩序を守る責任者として粛々と職務を遂行する」と述べて3人の死刑執行を発表した保岡法相。

  この方は内閣改造後の8月2日の初閣議後の記者会見で終身刑の創設にからみ、「日本は恥の文化を基礎として、 潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」と述べていましたから、やるだろうな、とは思ってました。森内閣時代にも法相として執行書に署名して ますし。

 それでも、じきに任が解かれることが分かっていて、なぜ、今? と、とまどいを禁じ得ません。
 自分がいる間に少しでも執行しておこう、ということなのでしょうか。

 だいたい、統一協会の合同結婚式に代理として妻を出席させたこの方のにこやかな微笑みが、私には気持ち悪くて仕方ありません。 
 
 日本は恥の文化を基礎として、 潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している、という主張も分かったようで判らない論理です。

 保岡氏同様、2度の死刑執行を命じた森山真弓氏も同じようなことをいってました。曰く、

「わ が国では大きな過ちを犯した人がたいへん申し訳ないという強い謝罪の気持ちを表す時に、死んでおわびをするという表現をよく使うのですが、この慣用句 にはわが国独特の罪悪に対する感覚が現われているのではないかと思われます。国民の死刑制度に対する受け止め方も、ヨーロッパとはかなり違うところがある のではないでしょうか」。

 死刑は日本の文化だ、といわんばかりの森山氏の口調には、異論を拒否して死刑を“粛々と”行うことへの並々ならぬ意思を感じ、背筋の寒さを覚えます。

 死刑は、日本の文化ではない、と思う。

 遠く平安朝に遡れば、810年の藤原仲成の処刑以来、350年近くにわたって朝廷が死刑執行しなかった、という事実があります。死刑判決があれば減刑し、死刑は廃止されていたも同然だったといわれます。
 
 また平重盛は父清盛に死罪を思いとどまらせようと、「死罪を行えば海内(かいだい)に謀反の輩(ともがら)たえず」と訴えたことが平家物語に記されているのだとか。

 そして真宗大谷派を信仰する、第3次小泉内閣の杉浦法相が、「(死刑執行命令書に)サインしません」「私の心の問題。宗教観というか哲学の問題だ」と述べたのは記憶に新しいところ。

 死刑は日本文化だ、と断じてそれ以上の議論を拒むのは、どうみてもおかしいと思います。

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