福岡県中間市をご存じでしょうか。
北九州市の西隣に位置する人口47,274人(4月現在)の小さな住宅都市です。平成の大合併では隣の北九州市との合併話しが進みましたが、結局市議会で否決され現在に至っています。
おもしろいことに、ここの市議会(定数19)が、21日、憲法9条の堅持を求める意見書案を全会一致で可決したのです。
市議会勢力図は公明3,共産2,無所属14人で、無所属の多くは保守系。
それでも保守系議員の1人は、
「憲法改正については、もう少し慎重に議論を進めるべきではないか」
と話しているそうです。
意見書は9条第1項(戦争の放棄)、第2項(戦力の不支持・交戦権の否定)の堅持を求める内容で、共産市議の原案を修正した上で他の議員も同調し、全議員の共同提案になった、と22日の毎日にあります。
共産市議の1人は「正直びっくりした」と述べているとか。
市民の目線から見ると、多分こういうことになるのでしょう。
戦争をしたくない、というのは市民レベルでは保守も革新も関係ない。
「保守」とはもともと、ものごとの急激な変化を好まないことを指しますから、私たちの国では圧倒的に保守が多かったと思います。
ただし、戦前レジームを引きずる保守と、戦前レジームを知らない保守があり、戦前レジームを引きずる人の中にも、善意の人とそうでない人たちがいます。
この善意の人たちが再び戦争を望んでいるとは考えにくい。
憲法を変えて戦争をしたがってているのは、善意の人たちではありません。
また現行憲法の下で育ってきた戦前レジームを知らない人にとって、本来ならば、ものごとを急激に変えることでもある改憲には大きな抵抗があるはずです。
その抵抗という垣根を越えて改憲を実現するために、実にさまざまな手だてが加えられて大義名分をうち立てることが図られました。そのあたりの理屈は、保守といわれる団体や政治家のサイトに溢れています。
こうした大義名分を立てる手だてのひとつが“伝統” 。
戦前レジームを知り戦後の急激な社会と習俗の変化にとまどう人たちの心に、巧みに“伝統”で訴えかけて自分たちの主張を正当化してきたのが、「保守」を標榜する勢力でしたが、同時に戦前レジームを知らない世代に対しては、“伝統”でナショナリズムを煽りました。
その成果の一つが、「元号表記」のみに統一されている公的記録。
いちいち西暦に置き換えなければ、世界の動きとつながりを持たせることができません。
これを見るたびに、せめて元号と西暦を併記してくれ! と叫びたい気持ちに駆られます。
外交でも環境問題でも矛盾した政策を掲げてきた政権担当者たちですが、ここでもまた、「国際化」を主張しながらも一向に「国際化されない」政治の一端を垣間見ることができます。
奈良・平安の昔から、祝い事や天変地異等が続いて元号が改められる時代が長く続き、1世1元制が定められたのは、たかだか139年前の明治維新の時にすぎ ません。それが敗戦後法的根拠がなくなり、再度法制化されたのが79年。戦前に生を受け戦争を生き抜いてきた人たちの記憶にあるのは、確かに1世1元制で すから、そこに訴えかけたわけです。
そして国民には強制しないが公務員には強制される、ということから、公文書はすべて元号で統一されているのでしょう。
これがまた教育界で問題になりましたが、成立の経緯についてはこちらが詳しい。
それによると、政府が元号法制化を決めたのが福田内閣で、このときの官房長官が晋三氏の父、晋太郎氏です。
“伝統”でごまかそうとする人たちにとっては“伝統”は単なる道具に過ぎないのですが、善意の人たちは、感傷も手伝い、その道具にいとも簡単に騙されます。
「そ こまであなたが戦争に反対していたなら、なぜマイクの前に立ち、その旨を宣言しなかったのか」(というマッカーサーの問いに昭和天皇はこう答えた) 「歴代の天皇で、側近の意見に反して行動した者はいません。1941年の時点で、もし私がそんな行動を取れば、間違いなく首をかき切られていました」 (47年1月22日)
という天皇の言葉が英国機密文書にあるということですが、この天皇の認識が正しければ、天皇制も一つの道具、舞台装置に過ぎなかった、といえそうです。
自覚するにせよしないにせよ、戦時中にあって皆が塗炭の苦しみを味わっていたとき、ひたすら私財蓄積に熱心だった人もおりました。それが開戦に賛成した動機か、それとも開戦の結果かは知りませんが。
アベ氏の祖父岸信介は、そのとき確かに権力の中枢におりました。
今日、民間軍事会社PMCを含めた軍需産業が、世界各地の紛争で莫大な利益を上げているのは事実でしょう。
経団連も9条を変えたいと公言して憚りませんから、どんな理由をつけようとも、戦争によって得られる利益を求めているのだ、と考えるのは当然のこと。
さらにいえば、日本会議等には「手始めが9条だ」と明言する人もいるわけですから、9条を突破口にして私たちを臣民化する計画も進行中なのかな? と考えるのもあながち杞憂ともいえません。
小さな地方都市の議会を構成する全メンバー19名が示した憲法9条堅持の意思。
これはごく当たり前の市民の感覚ではないでしょうか。

