とむ丸の夢

憲法July 22, 2007 2:19 pm

 福岡県中間市をご存じでしょうか。

 北九州市の西隣に位置する人口47,274人(4月現在)の小さな住宅都市です。平成の大合併では隣の北九州市との合併話しが進みましたが、結局市議会で否決され現在に至っています。

 おもしろいことに、ここの市議会(定数19)が、21日、憲法9条の堅持を求める意見書案を全会一致で可決したのです。

 市議会勢力図は公明3,共産2,無所属14人で、無所属の多くは保守系。
 それでも保守系議員の1人は、

「憲法改正については、もう少し慎重に議論を進めるべきではないか」

 と話しているそうです。
 
 意見書は9条第1項(戦争の放棄)、第2項(戦力の不支持・交戦権の否定)の堅持を求める内容で、共産市議の原案を修正した上で他の議員も同調し、全議員の共同提案になった、と22日の毎日にあります。

 共産市議の1人は「正直びっくりした」と述べているとか。

 市民の目線から見ると、多分こういうことになるのでしょう。
 戦争をしたくない、というのは市民レベルでは保守も革新も関係ない。

 「保守」とはもともと、ものごとの急激な変化を好まないことを指しますから、私たちの国では圧倒的に保守が多かったと思います。

 ただし、戦前レジームを引きずる保守と、戦前レジームを知らない保守があり、戦前レジームを引きずる人の中にも、善意の人とそうでない人たちがいます。
 この善意の人たちが再び戦争を望んでいるとは考えにくい。
 憲法を変えて戦争をしたがってているのは、善意の人たちではありません。

 また現行憲法の下で育ってきた戦前レジームを知らない人にとって、本来ならば、ものごとを急激に変えることでもある改憲には大きな抵抗があるはずです。

 その抵抗という垣根を越えて改憲を実現するために、実にさまざまな手だてが加えられて大義名分をうち立てることが図られました。そのあたりの理屈は、保守といわれる団体や政治家のサイトに溢れています。

 こうした大義名分を立てる手だてのひとつが“伝統” 。

 戦前レジームを知り戦後の急激な社会と習俗の変化にとまどう人たちの心に、巧みに“伝統”で訴えかけて自分たちの主張を正当化してきたのが、「保守」を標榜する勢力でしたが、同時に戦前レジームを知らない世代に対しては、“伝統”でナショナリズムを煽りました。

 その成果の一つが、「元号表記」のみに統一されている公的記録。
 いちいち西暦に置き換えなければ、世界の動きとつながりを持たせることができません
 これを見るたびに、せめて元号と西暦を併記してくれ! と叫びたい気持ちに駆られます。

 外交でも環境問題でも矛盾した政策を掲げてきた政権担当者たちですが、ここでもまた、「国際化」を主張しながらも一向に「国際化されない」政治の一端を垣間見ることができます。
 
  奈良・平安の昔から、祝い事や天変地異等が続いて元号が改められる時代が長く続き、1世1元制が定められたのは、たかだか139年前の明治維新の時にすぎ ません。それが敗戦後法的根拠がなくなり、再度法制化されたのが79年。戦前に生を受け戦争を生き抜いてきた人たちの記憶にあるのは、確かに1世1元制で すから、そこに訴えかけたわけです。

 そして国民には強制しないが公務員には強制される、ということから、公文書はすべて元号で統一されているのでしょう。
 これがまた教育界で問題になりましたが、成立の経緯についてはこちらが詳しい。
 それによると、政府が元号法制化を決めたのが福田内閣で、このときの官房長官が晋三氏の父、晋太郎氏です。 

“伝統”でごまかそうとする人たちにとっては“伝統”は単なる道具に過ぎないのですが、善意の人たちは、感傷も手伝い、その道具にいとも簡単に騙されます。

「そ こまであなたが戦争に反対していたなら、なぜマイクの前に立ち、その旨を宣言しなかったのか」(というマッカーサーの問いに昭和天皇はこう答えた) 「歴代の天皇で、側近の意見に反して行動した者はいません。1941年の時点で、もし私がそんな行動を取れば、間違いなく首をかき切られていました」 (47年1月22日)

 という天皇の言葉英国機密文書にあるということですが、この天皇の認識が正しければ、天皇制も一つの道具、舞台装置に過ぎなかった、といえそうです。

 自覚するにせよしないにせよ、戦時中にあって皆が塗炭の苦しみを味わっていたとき、ひたすら私財蓄積に熱心だった人もおりました。それが開戦に賛成した動機か、それとも開戦の結果かは知りませんが。
 アベ氏の祖父岸信介は、そのとき確かに権力の中枢におりました。

 今日、民間軍事会社PMCを含めた軍需産業が、世界各地の紛争で莫大な利益を上げているのは事実でしょう。
 経団連も9条を変えたいと公言して憚りませんから、
どんな理由をつけようとも、戦争によって得られる利益を求めているのだ、と考えるのは当然のこと。

 さらにいえば、日本会議等には「手始めが9条だ」と明言する人もいるわけですから、9条を突破口にして私たちを臣民化する計画も進行中なのかな? と考えるのもあながち杞憂ともいえません。

 小さな地方都市の議会を構成する全メンバー19名が示した憲法9条堅持の意思。
 これはごく当たり前の市民の感覚ではないでしょうか。

 
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憲法May 10, 2007 11:30 pm

大津留公彦さんのところで、You Tubeにアップされたクローズアップ現代「9条を語れ 平和は今」を見ました。

 見逃していたので、大津留さんに感謝! 

 それにしても経済活動を支えるために自衛隊を海外に派遣すべきだ、という経済同友会の高坂節三氏の言葉は衝撃的でした。

 自衛隊に守られながら商売をする。
 守られないとやっていけない商売って何だろう?

 エネルギー、繊維製品、鉄鉱石、紙パルプ、大豆、小麦等々、どれをとっても日本はもはや輸入なくしては経済がまわっていかない。邦人保護も必要だ、と高坂氏は言う。

 私たちの生活は海外からの輸入に頼っている。
 その輸入が滞りなく行われるのには、シーレーンを確保する自衛隊の力=兵器+兵士が必要だ、ということか。

 何から商売を守る必要があるのだろうか? 
 その商売は私たちの生活に、ほんとうに益をもたらすものなのか?
 いったい誰がそんな商売で儲かるのか?

 こんな疑問が頭の中をぐるぐる回ります。

 それにしても不思議なのは、自衛隊に守ってもらえば、場合によっては先制攻撃をすれば万事OK.と考えるところ。
 戦争に負けることは可能性として十分あると思いますし、勝利宣言してからもイラクで続く米軍犠牲者のことを考えると、とてもOK.と考えるわけにはいかない、とても商売どころではないと思うのですが。

 いや、確かに戦争そのものを商売にしている人たちはたくさんいました。

 民間軍事会社PMCが世界各地の戦争で、とりわけ今はイラク・アフガニスタンで莫大な利益を上げていることは、「新植民地主義と国家の民営化 ワーキングプアにもなれない人たち」や「奪われる背景」で述べてきました。

 すでに英国資本のPMC日本支社は昨年発足していますし、さしもの米軍も今ではPMCなしには戦争そのものが遂行できません。
 昨日9日はチェイニー副大統領がイラクを電撃訪問したと報じられましたが、こうした要人も、PMCの警護なしにはイラクに足を踏み入れることさえできなかったのではなかったかしら。

 で、こうしたPMCも、もちろん財界の知恵もの達は視野に入れているでしょうから、これと自衛隊はどういう関係になるのでしょうか。

 先例は米軍にありますから、十分そこから類推できるように思います。
 米軍とPMC、自衛隊とPMCのことを考えていくと、私たちの生活を守るため、つまり私たちの生活を維持するための輸入品を守る、というのはあくまでも表向きの大義で、本音は違うのではないかしら、という疑念が頭をもたげてくるのです。

 戦争によって成りたつ経済、戦争によって成長する経済、戦争によって儲かる経済、そんなアメリカン・スタイルが手本になっているとしたら、これはもう、究極の悪魔の選択でしょう。
  
 そんな悪魔の餌食になるのは、屈強な若者たち。
 
 戦争という名誉的なもので死にたい、という‘破滅的な願望’ を口にする31歳のフリーターもこの番組に登場していました。

 戦争でも起きないと、今の不安定な生活は変わらない、というこの男性は、コンビニのアルバイトで得る収入はひと月12万でした。もう10年間、その生活だといいます。
 軍隊ならば、給料は国が保証してくれる、とも言っていました。

 いろいろな意味で誇りを奪われて、どこかで自信を失い、それでも‘名誉的なもの’で死にたいと「名誉」を口にする若者を、私たちは笑うことはできません。

 30過ぎても、ほんとうに子どもというのは健気です。この若者も、10年のあいだ親元に錦を飾れないことで、さぞ唇を噛みしめる思いを味わったことでしょう。
 名誉なんかどうでもいい、君がいることそのものが私の名誉だ、と断言して受けとめる親がいれば、などと私はすぐ考えてしまうのですが。
 
 貧しさが誇りを奪うということもありそうな最近の日本社会。

 以前にも伝えましたが、私の父は徴兵制の甲種合格で正月明けに入営すると、翌月には2.26事件に遭遇するという経験をしました。
 
 その関係で父のような一兵卒について少しばかり調べたとき、兵士っちの出身家庭があまりにも貧しいのに驚いたものです。

 旧制中学を出た私の父など例外中の例外でした。

 ある部隊の兵士の身上書をみると、出身が「極貧」と記されている家庭の多いことに驚きましたが、それでさえ、実際よりもワンランク上で記録されているとのこと。いわば「極極貧」或いは「超極貧」が決して珍しくなかったということです。
 この「極貧」のイメージがなかなか掴めずに年寄りに尋ねて分かったことは、住まいでさえ、木造の家があればまだましだった、ということ。

 つまり、山に穴を掘って住まいとしていた人たちもいた、ということでした。
 もちろん病気になっても医者に見せる金はありません。
 医師の診察を受けられるかどうかは、ひとえに篤志家がいるかどうかにかかっていたのかもしれません。

 そんな生活の中で育って軍隊に行けば、当初は白いごはんも食べられて、天国だったのでしょうか。

 クローズアップ現代のレポートは、あまりに重い課題を私たちに突きつけてきました。

 ただ、経済同友会終身幹事の品川正治さんの存在に救われる思いをしました。

 20歳で中国に出征、戦後の引き上げ船の中で、戦争放棄を歌った憲法の草稿を初めて読んだというこの方は、9条を変えるな、変えることは日本企業の経済活動にプラスにならない。問題は経済の中で解決すべきであり、外交の中で解決すべきである、と言われています。

 この品川さんが、財界の良心としてさまざまな場で発言されていることを知ったのは結構最近です。

 さあ、少しずつでも、改憲に動こうとする力に抗していこう、と勇気づけられました。

 
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