とむ丸の夢

新植民地主義・新自由主義・民営化July 27, 2008 9:10 pm

今朝の新聞、テレビのニュースでは、「貿易自由化の新たな枠組み作りを目指す」というWTO・世界貿易機関の閣僚会合で、日本は「極めて厳しい立場」に立 たされている、ラミー事務局長が25日に提示した裁定案は日本にとって農業分野のさらなる市場を開放を迫る厳しい内容だ、日本は孤立状態だ、などと報じら れています。
 IMF、WTO、世界銀行の3者が手に手を携えて搦め手か! などと嘆いても始まらないですね。

 要するに、高い関税を課している農作物の数を減らせ、といわれて日本は困っているわけでしょう? 
 地産地消が基本だと思う私は、そもそも農作物を自由化することに、とても疑問を抱いています。
 国際分業というものも、あまり信用してません。

 適地適作で単一作物をつくり、国際競争力を高めるやり方が、果たして人の幸せな暮らしに役立つのだろうか、とつねづね疑問に思ってます。

 たとえばカカオ豆の生産世界一のコートジボアール。外務省、各国・地域情勢によると、同国の経済状態は次の通りです。

  同国の基幹産業は農業で、農業に従事する人口は全体の80%を占め、GDPの約30%、輸出の大部分を占める。主要産品であるココア、コーヒー等の一次産 品の国際価格の低迷、膨大な対外債務により、経済的危機に陥り、1987年5月にはパリ・クラブ、ロンドン・クラブに対して債務支払い停止を宣言。結果 1989年9月よりIMF・世銀の下で構造調整計画を開始した。しかし、1999年初めには経済改善策が不十分としてIMFによる融資が停止された他、 EUの援助約180億CFAフランに対する汚職が暴かれEUの援助が停止されたが、国内情勢の安定化に伴い2002年2月に再開。同年9月に発生した反政 府派による武装蜂起により国が2分され、その後の和平プロセスの停滞の中で経済活動は大きな制約をうけていた。1993年より産油が開始し、近年、石油輸 出額は、コーヒー、ココアの輸出額と並び、主要貿易品目となっている。

   

 同資料には 2006年の主だった貿易品目として、計82億ドル稼いだ輸出品の内訳は、ココア、石油製品、材木、コーヒー等で、計50億ドルを支払って外国から買ったものは、食品、石油製品、機材等らしい。

 ちなみに日本に関していえば、
(1)貿易額(2006年)対日輸出 27億3,300万円対日輸入 20億7,647万円

(2)主要品目(2005年)輸出 カカオ、カカオ製品等 輸入 鉄鋼板、タイヤ、自動車等

 ということになるそうですが。

 で、コートジボアールでは、周辺国からもかり集めた子供たちを奴隷労働にも等しいほど酷使してプランテーションで栽培したカカオやカカオ製品を輸出し、自分たちが口にする食品は輸入する、そんな構図が透けて見えるわけです。

 おまけに単一栽培には大量の農薬や化学肥料が投入されますから、環境は悪化、破壊されることになりますし、そんな中で生活する住民たちには健康被害が出てくることは当然といえば当然。

 国際的取引の場面で問題になる関税とか価格とかの前に、そんな理不尽な状況が原産国には横たわってます。

 そうした状況に蓋をして自由貿易だ、グローバリゼーションだ、と唱えるのはおかしいのじゃないか?
 プランテーションでカカオ豆生産に労働力と資金を投入するよりも、日々の食卓が豊かになるような農作物を生産する方がコートジボアールの人たちにとって幸せじゃないのか? 
 それが基本にあった上でのカカオ豆という国際的な換金作物の生産じゃないのか?

 というのが私の思い。

 おまけにカカオの取引価格はロンドンやニューヨークの国際市場で決まるのは、日本の漁民たちの先頃のストでふれられたように、魚の価格が生産者の手の届かない市場で決まるのとよく似ていますね。

 経済や金融に携わる人たちは国際貿易の取り決めを用意するWTOについて全面的なほど肯定して話を進めるわけですが、食の問題は経済的な問題だけでは割り切れないのではないか、と私は強く思います。

 ですから経済的側面だけを切りとって侃々諤々やっているWTOの会議にも、はなはだ疑問を感じています。

 台所から見る日本の食の現場、とりわけ農作物の生産現場は、私の原風景。
 子どもの頃毎夏過ごした農村の風景はまさに一変してますが、水を満々とたたえた田んぼを見れば、あるいは春先に収穫を控えた麦畑や、晩秋、一面ひからびた色にかわった大豆畑を目にすると、なんだか、田んぼの神さまや畑の神さまが降り立ったような畏敬さえ感じます。
 自然の恵みの循環ですよね。

 ところが自然の恵みと一口に言っても、ことは簡単ではないんですよね。
 そりゃあ、植えっぱなし、収穫しっぱなしだったら簡単なのでしょうが。
 田畑を維持して作物を取るには、人手もお金もとてもかかるのでしょう。
 100%消費者の立場でスーパーで購入しているとそのことがなかなか想像できないのでしょうが、家庭菜園でもしてさらに産直店に出向くと、これだけの作物がなぜこれほど安いの?! と驚くことがしばしば。
 プロの仕事に脱帽です。
 
 今年の農業白書では食料自給率の問題がクローズアップされましたが、自給率の危機を早くに訴えたのは、私の記憶では西丸震哉さんです。結婚して間もない頃の70年代に買い求めたNHKの『今日の料理』で初めて知りました。
 そして、減反政策なんかとらなくても耕す人はどんどん減っていってるんだから自然に減反されるんだとみんなと言ってるよ、と農村の住民から聞いたのもだいぶ前。
 農民作家山下惣一さんも、日本の農村の現状と農業政策のおかしさに警鐘を鳴らしてずいぶん長くなります。
 
 ですから農業白書の言を、なにを今さら、と思わなくもないのですが、これ以上の農作物の生産現場を崩壊させないでほしい、と痛切に感じます。

 最後に昨年11月に東京新聞に載った山下惣一さんのインタビュー記事の一部を紹介しておきます。
 

清水 政府・与党の掲げる大規模で強い農業は実現しますか。

山 下 そうならないでしょう。だって、日本は国土の七割が山ですよね。川沿いに細々とみんな暮らして、日本の 農業はそこで食っていくためのもので、外に売るための農業じゃないですからね。基本的に自給農業です。うちのムラには農家が百二十戸ありますけど、政府の 支援対象となる四ヘクタール以上の人はいません。そんなところばかりですよ。

清水 農業の国際競争力とか、外国と勝負するという発想が間違っているということですか。

山下 グローバルな農業というものは世界中にありません。農業はローカルなものなんですよ。欧州はそれを理解しているから食料自給率も下がらないし、田園の景観も変わらない。世界中で日本が一番ひどい。

清水 なぜ、政府はそんな政策を。

山下 工業国だからです。工業製品を売るためにはグローバリゼーションに乗り遅れると困る。端的に言えば、クルマを売るために、他の国とFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)を結び、向こうから入ってくる農産物が日本の農業をつぶしている。

    

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新植民地主義・新自由主義・民営化July 6, 2008 8:50 pm

 ダイヤモンド・オンラインで見つけたこの記事。

雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会」は、なるほど、さもありなん、と思わせるものでした。

 

 アメリカは確かに国家の福祉機能が小さく、利潤追求と競争の市場原理を重視しているが、それがすべてというわけではない。市場原理にまったく従わない民間非営利セクターが大きな力をもち、福祉機能、すなわち社会を維持する役割を担っている。
 貧困者や市場で失敗した人たちの救済活動はその分かりやすい例だろう。
 
  
 と、
ハーバードのDr.マルガリータ・エステベス・アベは語ります。

 生活保護の受給条件は、個人に受給資格があればよい

米国より日本の方が厳しいのだそうです。日本では家族の所得も事実上調査されるからです。

 北欧に限らずヨーロッパ先進国の福祉が日本よりずっと進んでいるのはよく知られていますよね。教育費も、大学卒業まで無料だったり。

 付加価値税が20%でも国民生活へそれなりの対応があった上での話し。
 私たちの政府はそんなこと考慮せずに、ただ消費税の数値だけを見てヨーロッパは日本の何倍も取ってるんだぞ、というのですから、呆れたものです……とブツブツ脱線。

 正規・非正規社員の賃金格差の問題も、欧米ではまず考えられない、とDr.マルガリータ・エステベス・アベは指摘し、 

これまでのやり方では社会保障などのコストが高くなりすぎる。最終的には日本人がどういう社会で生きたいのかということだ。


  と結論。

 どういう社会で生きたいのか? と問われれば、かなりの率で高負担でも高福祉であればよい、安心して生活ができればよい、と答える人が多かったような記憶があります。

 それがコイズミ時代、小さな政府で無駄をなくせば日本が良くなると勘違いする人が大勢出てしまいましたし、そもそも生まれ育ったこの日本社会で、高福祉の実現がなかなか信じられないのが実際。
 
 現に、馬鹿高い戦闘機等に予算を費やし、インド洋で米国らの戦闘遂行の手助けに無料の燃料補給活動を続け、米軍への思いやりに多大な出費をする私たちの国の政府が福祉を唱えても、とても信じる気になれません。

 小泉政権で決まった、5年間で総額1兆1千億円(毎年2200億円)の医療、福祉予算の削減を決めた骨太の方針2006」実施2年目の今年で今の惨状。
 さらなる削減が嫌なら、消費税値上げに同意しろ、という消費税増税のいい訳を聞くたびに、盗人猛々しいのもいい加減にしてくれ、と頭に血が上りそうですね。 

 第一次産業、とりわけ農業に従事する人が多数を占めていた時代の高度成長期以前、農村の大家族では赤ちゃんから年寄り、未婚・離婚者、元気なものから病弱なものまで、さまざまなメンバーが寄り添いながら暮らしを立てていました。

 消費生活の規模も今とは比べものにならないくらいでしたから自給自足できるものもかなりあり、たとえひとりやふたりが転がり込んできても何とかなった、そんな状態を融通無碍な家族、といえるかもしれません。
 そのかわり、一家の大黒柱を支える妻の背中にずっしりと重いものが載っていたのでしょう。私の知っている女性は、2人の子どもさんがまだ小学生の若いお母さんだったのに、この重みゆえ、ひどい腰痛に悩まされていました。    

 日本の家族が健気に耐えてきた自己責任、自助努力は、そうした犠牲があって可能だったのです。

 今はそんな役割を買って出る人もいないでしょうし、町で暮らす核家族に、メンバー以外の人を受け入れる余地はありません。対処できるのはせいぜい親子関係まででしょう。

 その親子関係でさえも不確かなことは、北九州での餓死事件に私たちが学んだことではないでしょうか。子どもも親を支えきれず、親も子どもを支えきれない、そんな事例は珍しくないのではないだろうか、と。

 福祉機能でヨーロッパはおろか米国にも劣り、雇用環境はヨーロッパに及ばない、そんな社会に私たちは暮らしているのか、とあらためて確認。

 それこそ、「どげんかせんといけん」のじゃないですかね。

 ところで、余談ですが……

 今日外出先の車中で聞いた文部省唱歌「田植え」。

  そろた 出そろた
 さなえが そろた
 植えよう 植えましょ
 み国のために
 米はたからだ たからの草を
 植えりゃ こがねの花が咲く

 そろた 出そろた
 植え手も そろた
 植えよう 植えましょ
 み国のために
 ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
 みちの小草(こぐさ)も 米がなる

 これを耳にしてびっくりしたこと。

 確か私は「植えよう 植えましょ みんなのために」と記憶していたのですが、注意を集中させて2番を聴いても、やはり「み国のため」と聞こえてきたこと。

 自分の記憶違い? それとも間違って覚えてた? と少なからぬ衝撃を受けて帰宅後調べますと、確かに「み国のために」となっているのです。

 なぜ?

 昭和17年、太平洋戦争勃発後に作られたこの歌は、当然「み国のために」で書かれていました。戦争が終わった直後、この部分が「みんなのために」 と教えらるようになったという話しです。 
 私の記憶も間違いではなかったのです。

 それがいつのまにか、「み国のために」と歌われるようになっていたのです。

 私たち庶民は、過去も現在も、「み国のために」とお尻を叩かれてきたのじゃないでしょうか? でもそれに納得できない人もたくさん生まれた(当たり前だ!)……そんな社会に政治はとても追いついてない……。逆に、政治に合わせろ! と言ってるみたいですね。

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  築地移転

 7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。

 こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。 
 
 
      
                            

新植民地主義・新自由主義・民営化July 2, 2008 8:45 pm

経済についてはとんと縁がなく、オンチと思っている私でも、ここ数年漠然と感じてきたことが確信に近いものになってきたことは、自由競争市場というのは理念として人の頭の中で考え出されることがあったにしても、現実の社会ではあり得ないのではないか、ということ。

 竹中平蔵氏の言ってることなどを読んでいると、“素人様お断り、分からないのは頭が悪いのです”のごとく、聞き慣れぬカタカナ語や論理が展開されていて、チチンプイプイかビブデバビデブのようなお呪いに思えてきて、すぐさじを投げ出してしまいます。

 でも、変だな、おかしいな? と見つめていると、最初の最初、そもそも自由競争市場の存在という前提が間違っているのではないか、と感じてきました。

 神の見えざる手が働いてうまくいき、“すべて世はこともなし”の結果を得るためには、市場で動き回る人たちが道義心に溢れ、自分の利益の追求はさしおいても公共の福祉に心砕く人たちだ、ということが前提条件になるのではないだろうか。

 つまり、神の見えざる手が働くためには、市場に関わる人々そのものが神になる必要があるのではないだろうか。       

 と、近頃よく思います。

 で、市場に関わる人々がひとりでも、ましてやことごとく神になるなどという非現実的なことはありえないわけですから、純粋に自由な競争というのは単に人の頭の中にあるだけなのでしょう。

「自由競争」という言葉に限りなく魅力を感じて、いってみれば幻惑された人たちは、コイズミ純一郎氏も含めて運動会の徒競走のようなイメージを持ったのではないでしょうか? あれなら公正・公平だ、と。 

(あっ、オリンピックの100m走をイメージした人もいるかもしれませんが、誰でも参加可能となると、やっぱり運動会ですよね)。


 これはイデアル・ティプス、つまり理念型とか理想型というものかな? と浅学の私は思ったのですが、どうでしょうか。

 まあ、とにかくことあるごとに竹中氏らが強調してきた自由競争市場などというものは現実の社会には存在し得ないのだ、という確信がパラストの『金で買えるアメリカ民主主義』で確かめられたのは、正直うれしい限りです(←もっとも、こんなことで喜んでもしようがないのですが)。
 

 この本はもう数か月前に手に入れたのですが、少しずつ、ちょびちょび、思い出したようにボツボツ読んでます。(一向に読了しないのは、おもしろくて手離すのが惜しいこともありますが、一番の原因は私の怠惰にあります)。

 この本では自由競争を錦の御旗に悪行の限り? を尽くすブッシュ父子に焦点が当てられていますが、今日読んだ箇所は、かの英国サッチャー政権でエネルギー相を勤めたジョン・ウェイカムが、世界で初めて「電力卸売り」発電所を認可した、というくだり。
 この発電所の所有者こそ、あのエンロン社なのですが。

 1990 年に制定された法律を契機にエンロンは自由化電力市場で国際的な電力取引業者になり、ウェイカムはエンロンの役員に迎えられ、役員手当とコンサルティング 料を得ながら、さらには「Sir]の称号も手に入れ、一民間企業の役員であると同時に上院議員だったようです。

 そしてこの後に起こったことを、パラストは次のように述べています。

 

  エンロンとの取引に続いてウェイカムは、イギリス政府に国内の発電商や電力小売会社を、電線から変電所までいっさいがっさい売りはらうように働きかけた。 サッチャーはそこで、イングランド・ウェールズ・プールというリトルチャイルド先生の夢に着手する……紙の上では電力プールはアカデミックな美しさをそな えていた。新たに生まれた民間発電業者たちは、イギリスの消費者に電力を売る権利のために日々しのぎを削って電力の価格を下げるはずであり、その結果、電 力料金は安くなるはずだった。
こ れは理論だ……電力プール制度は業界が「ギャンブル」と呼ぶゲームの会場となってしまう――談合や価格つり上げ、消費者からありとあらゆる手の込んだ方法 で金をしぼりとる場だ。電力の価格は跳ね上がり、発電所の所有者たちは、資産収益が事実上一夜にして三倍から四倍に増えるのを目の当たりにした。
                                             
 
 頭の中の自由競争市場は、実際の社会ではギャンブルの場になってしまった、ということです。
 神は存在せず、実際はギャンブラーばかりだったとは笑えますが、ことが電力という公益事業だけに、さすがに笑うにも顔が引きつります。

 コイズミ純一郎氏はどうか知りませんが、お利口さんの竹中氏がこのことを知らないわけはない、と思うのはあまりに穿った見方でしょうか?
 ギャンブラーとしてひと晩の稼ぎを選択して、危なくなったから議員辞職したのかな? なんて……。

 辞職後も生活は大学教授の身分で保障されているわけですから、後はそうした己の選択と獲得した収益を守るため、かつ正当化するために研究・弁論活動をすればいいわけですし。 

 そんな風に想像してみましたが、さあて、実のところはどうなのでしょうか? 

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  築地移転

 7月12日の築地市場移転反対デモが盛り上がってほしい。

 こんな風だったらいいなあ。こんなのもあるけれど、子どもも参加できる様に準備が進められています。デモ当日は、プラカードなど持ち寄って楽しく参加しましょう、とのことです。 

新植民地主義・新自由主義・民営化March 15, 2008 9:44 pm

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 ↑昨日の夜BBCニュースの速報

 映画ロードオブウォーの主人公ユーリーのモデル、“死の商人”ヴィクトー・バウトがタイで捕まりました。
 この人については以前記事にも書いていたので、びっくり。
 コロンビアの反乱軍に武器を売った容疑でアメリカが逮捕状を出していたようです。 
 2002年にベルギー政府とインターポールが追っていたときは、ロシアに逃げていましたが。
(日本のテレビではモザイクのかかる腕にかけられた手錠ですが、BBCではそのまま、ありのままですね)。

 でも、バウトばかりが悪いのか? という思いが頭をよぎります。

自分が1年間で取り扱う銃を、合衆国の大統領は1日で売ってしまう。冷戦後の(冷戦前も)各地の紛争に使用される武器はすべて、米・仏・英・露・中という国連安保理常任理事国でつくられている」と映画の中でユーリーは語ってましたね。

 で、コロンビアといえば、最近は隣国ベネズエラのチャベス大統領が左翼ゲリラ、コロンビア革命軍(FARC)に資金支援しているとして、国際刑事裁判所(ICC)での訴追を目指す意向を表明したばかり(東京新聞3月5日)。

  ベネズエラは2日、コロンビア政府軍がFARC掃討作戦の過程で1日、友好国のエクアドルに越境、侵入したことに抗議し、コロンビアとの国境に軍 を派遣するよう命じた。3日にはベネズエラ駐在のコロンビア外交官全員の追放も決定し、両国関係の一層の悪化は避けられない見通しだ。

 ロイター通信によると、ベネズエラ側はコロンビアとの貿易も制限し始めたという。

 コロンビア警察当局は、越境攻撃でコロンビア政府軍が殺害したFARC最高幹部の所持品の中から、チャベス大統領がFARCに3億ドル(約310億円)の資金を支援していたことを示す書類が見つかったと指摘していた。


 4日にはブッシュ大統領が議会でコロンビア指示を明確にするために同国との自由貿易協定(FTA)を早期に承認するよう求めたとか。

 で、エクアドルといえば「エコノミック・ヒットマン」の餌食になった国として記憶にあり、世界銀行から巨額の資金を借り入れたために、資源に恵まれながらも国民の大多数が貧困に苦しんできたところ。

 2006年の大統領選で、ラファエル・コレアはアメリカの押す右派で大富豪のノボアを大差で破り、当選しました。
 コレア大統領は圧倒的な民衆の支持を受けて、世界銀行からの債務帳消し政策を推し進め、
二万四千ヘクタールの広大な土地に広がる米空軍基地を貸与協定の期限が切れる2009年にはこれを打ち切ろうとしています。

 もちろんアメリカにとってこれは大損害ですから、なんとしても阻止しようとしているのでしょう。

 バウトの逮捕は米国麻薬取締局(DEA)、インターポール、タイ警察の3者が関係したおとり捜査の結果であることがアルジャジーラで伝えられています。

 非合法の武器商人として世界中でから追われていたこの人は、モスクワからバンコクに飛んだ木曜日にホテルで捕まったわけですが、タイを非合法の武器売買の基地として使う計画を立てていたことが容疑なのだとか。
 アメリカの引き渡し要求を検討する前に、タイで裁判を受けることになりそうです。
 テロリストへの武器調達の罪が認められれば、再考10年は入獄ということになる、とはタイ警察の話し。
 近年南部で爆破や襲撃事件が相次ぐタイのことですから、当然神経をとがらしていたことでしょう。

 一方米国は何10億ドルもの軍事援助をコロンビア政府に行っていて、コロンビア政府はコロンビア革命軍Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia,FARCと戦っている、という図。
 このFARCにバウトを武器を売り込んだ、というわけです。

 FARCはコカインと誘拐で得た資金で軍事作戦を遂行、といわれているのですが、もう40年もの間政府軍と戦って農民の支持を得ています。
 これも、新自由主義=新植民地主義の嵐が吹き荒れ、米国が後押しする軍事独裁政権等が政権を掌握する中で、大多数の人々が貧困に苦しんできた南米の事情があってのことでしょう。
解放の神学」も
、この南米で生まれたものでした。
 
こちらのBBCニュースによると、コロンビアは米州機構の中で孤立をしているようです。
 ただし、エクアドル、コロンビア、ベネズエラは重要な貿易パートナーなので、まず、戦争になることはない。エクアドル領内にはコロンビア人が、コロンビア領内にはベネズエラ人がそれぞれ
何万と住んでいる、ともいわれています。
 こうなると、コロンビアも加わって“合従”の策、とはいかないのでしょうか?)

 米国と手を結ぶ、ごく一部の富裕層が政治経済の実権を握ってほしいままにする一方で、たとえばエクアドルでは国民の70%が貧困層といわれています。そこに人々の期待を担って登場してきたのがコレア大統領。

 米国は、これまでのツケの精算を一気に迫られています。

 ところで、バウトが逮捕される2日前、足元の米バーモント州にあるブラットルボロとマールボロの2つの町で、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領を憲法違反容疑で逮捕する可能性がある措置を可決したといわれています(3月6日産経ニュース)。
 この措置とは、大統領と副大統領の起訴を正当に行うことができる関係当局に2人を引き渡せと、町の警察に命じている、と伝えていますが。

  こうした町議会での可決が実質的な意味を持たず単なる気休めに過ぎないにしても、7年以上にわたってこの超大国の舵取りをし、いよいよ世界の混迷を深めさ せてきたブッシュ-チェイニー・コンビに、米国国民でもNO! を突きつけているニュースは、やはりちょっとうれしくなります。

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新植民地主義・新自由主義・民営化January 25, 2008 10:36 pm

『エコノミック・ヒットマン』の著者、ジョン・パーキンスさんのHPがありました。

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 Dedicated to Changing the World です。

 なお、私のエコノミック・ヒットマンに関するエントリーは以下の通りです。

エコノミック・ヒットマン

優越感と選民感覚 日本会議 エコノミック・ヒットマン

権力を持つものはすべて買収しやすい……エコノミック・ヒットマン

友人はアルカイダ:ブッシュエコノミック・ヒットマンになるためには、欲求不満が、そして野心が必要です。

戦争は経済活動の一つなのか

伝統と新自由主義

元エコノミックヒットマン語る

働けば働くほど、他の誰かが儲けている   

   
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新植民地主義・新自由主義・民営化 10:36 pm


家人のつけるラジオで、たまたま大田経済相の演説が耳に入ってきました。
 
 か細い上ずったような声にびっくりしましたが、言ってる内容は“いかにも”なもの。

「世界の総所得に占める日本の割合は2006年、24年ぶりに10%を割り、1人当たりGDP(国内総生産)はOECD(経済協力開発機構)加盟国中18位に低下した」

       ↓
「もはや日本は『経済は一流』と呼べない」
       ↓
   改革が足りないからだ

 というように結論していました。

 むごいなあ。
 こうした結論が酷いだけでなく、この女性大臣の存在感のなさ、風貌と声の痛々しさもまた酷い。本当にそう信じているのだろうか、という疑問が頭をよぎります。
 単なる操り人形なのかな?
 それとも見かけとは違って、ほんとうはもっとずっとしたたかなのかしら?

 私も含めて年輩の人間には、60年代の高度経済成長の過程で所得は倍増し、生活がどんどん豊かになっていった記憶が強烈に残っています。
 3種の神器といわれた電化製品がどこの家庭でも当たり前になり、一億総中流といわれるようになったことも。

 同時に輸入農作物の価格も自由化でどんどん安くなって、憧れのバナナも身近なおやつになっていきました。。
 東京オリンピックのあった64年にはレモンが自由化されたわけですが、当時ずいぶんと話題になりました。週刊誌のグラビアには、パックでもしているのか、顔にレモンの輪切りをたっぷりのせている写真が出ていて、日本人も贅沢になったなあ、と実感したものです。

 アメリカのテレビドラマで知った豊かな生活を次第に自分たちも味わうようになってきたのが70年代、80年代、といったところでしょうか。
 
 でも今の時代、どうもそううまくはいかないぞ、ということを私たちは経験してきました。
 それを経済の専門家はどう説明するのか知りませんが、私たちがこの目で見たり聞いたりしてきたことは、働いても働いても貧しさから抜け出られない人たちがすごい勢いで増えてきたこと。
 同時に自殺者もホームレスも激増したこと。

 働いても働いても貧しさから抜け出られないということは、同時に、働けば働くほど他の誰かが儲けている、ということではないか、と思うようになりました。

 かといって働くのを止めれば、即、死につながりかねない。細くてもなんでも、命をつないでいこうと思えば働き続けるより道はない。
 
 こうした構図が地球規模でできあがっているのがグローバリズムではないかしら。
 
 働けば働くほど、生産すればするほど、他の誰かが儲けている。

 これが端的に表れているのが、キャノンをはじめとする大手メーカーで問題になった偽装請負などでしょう。 国外に目を転じれば、前エントリーでとりあげたエクアドル等の問題があります。

 エクアドルの雨林から算出する原油100ドル当たり、石油会社の取り分は75ドル。
 残りの25ドルのうち、4分の3は対外債務の返済。
              4分の1の大半は、軍備をはじめとする政府支出。
 公衆衛生、教育、福祉等に使われる資金は2.5ドルだけ。

 ただしこの数字は『エコノミック・ヒットマン』が書かれた2004年以前のもの。
 エクアドルも、いつまでも黙して耐えているだけではありません。

 資源国有化の動きがエクアドルにも波及し、2006年にはエクアドル政府は米石油大手との契約破棄をして接収したり、外資企業に対して石油による利益の少なくとも50%をエクアドル政府の取り分として納入する、などと定めています。

「逆襲」という言葉が思い浮かびます。

 これに対して、「米専門家らは原油価格の高騰を背景に資源を戦略利用する発展途上国の動きに警鐘を鳴らしている」のだとか。

 私たちの国はいったいどうなるのかしら?
 
 郵政問題、防衛問題、基地問題、エトセトラ。
 アメリカとの歪んだ関係は、アメリカにとっても日本にとっても不幸だ、と思うのですが。

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 JAXVNさん、愚樵さん、すずめさん、ヘリオトロープさん、拍手コメントをありがとうございました。

JAXVNさん:考えてみれば、小泉元首相が「保守」と言われ「保守派」が支持する、ということ自体矛盾していると思います。あれだけ「改革」を連呼している人がなぜ「保守」なのでしょうか?そのことをなぜ「保守派」は問題にしないのか不思議です。

愚 樵さん:つねづね思っているのは、伝統という言葉を右派の専売特許にさせておくべきではないのではないか、ということ。護憲を主張する左派も、もっと「伝 統」と向 き合う必要があるように感じます。私見ですが、日本人の「伝統」と9条を支持する心情との間には親密な関係があるように感じています。

すずめさん:福祉や環境問題を語ると共産主義だ・・・とはビックリする考えですね。福祉や環境問題では、北欧の国家政策をもっと勉強したいと思っています。

ヘリオトロープさん:最近彼らの言う『日本の伝統』とは姥捨て山や口減らしの伝統のことかな、と思います。

 等々のコメントをいただきました。

 また近いうち、リベラルと「伝統」「保守」とについて考えてみようと思います

新植民地主義・新自由主義・民営化 10:35 pm


  貴ブログ愛読者さんから教えて頂きました。

 デモクラシー・ナウに『エコノミック・ヒットマン』の著者ジョン・パーキンス氏が出演されていました。                              貴ブログ愛読者さん、ありがとうございました。
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エコノミック・ヒットマンが語るアメリカ帝国の秘史  ―経済刺客、暗殺者、グローバルな腐敗の真相です。

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新植民地主義・新自由主義・民営化 10:35 pm


「世界の全人口のうち、最も裕福な国々に住む上位5分の1の層と、もっとも貧しい国々に住む会5分の1の層との所得を比較すると、1960年には30対1だったが、1995年には74対1にまで格差が広がった。にもかかわらず、世界銀行やUSAID、IMF、国際「援助」に関わるその他の銀行、企業、政府は、自分たちは立派に役目を果たしており、状況は改善しつつあると、私たちに語り続けている」

 とは、『エコノミック・ヒットマン』の中の著者ジョン・パーキンスの言葉。

 1995年が74対1ならば、それから10数年後の今は、さらにこの何倍も格差は広がっているだろう。

 *なお、USAIDとは米国国際開発庁(U.S. Agency for International Development)の略。
 日本ではほとんど知られていない組織ですね。

 そもそも社会主義が内部から崩壊したのであって、けっして資本主義の勝利だったわけでないのに資本主義が勝利したと勘違いしたことから米国の、そして新自由主義の暴走が始まった、という寺島実郎さんの言葉を思い出そう。

 グローバリズムの合い言葉で新自由主義の嵐が吹きすさび、“自由競争”のかけ声で新たな秩序ができあがる。

コーポレートクラシーは陰謀団ではないが、そのメンバーたちは共通の価値観と目標を持っている。コーポレートクラシーのもっとも重要な機能のひとつは、現状のシステムを永続させ、恒に拡大し強化することである」

 とはジョン・パーキンスの指摘するところだ。 

 ふとここで、妙なことに気がついた。

 保守を標榜し伝統を重んじる日本会議の草の根会員やその考えに共鳴する人が、格差や自由競争を声高に肯定することだ。
 いい悪いは別にして、人間は平等じゃない。だから格差があって当然だ、と主張する。 
 保守を標榜し伝統を重んじるものが、新自由主義を是とする。

「平等」とか「平和」とかは共産主義の象徴として目に映るらしい。
「平等」と「平和」は共産主義だからダメだ、と。
 だからその反対の自由主義がいい、というとても単純明快な論理。自由主義がいいのだから、新自由主義はもちろんいい、ということなのか。

 もともと人間は平等じゃない、だから格差があって当然だ。
 弱肉強食で、弱いものが喰われる、ただそれだけのことだ。

 こううそぶいて新自由主義を肯定しながら日本の伝統を叫ぶのだが、あなた方の言う伝統は単なる明治以降の伝統ではないか、と言ったら、怒るだろうか。

 エクアドルではアマゾン川流域の石油目当てに米国の石油会社があの手この手で先祖伝来の土地から追い立てようとして先住民の生活を脅かし、その文化を破壊している。またエクアドル政府はそれをまるで支援しているように見える。まさに伝統の破壊だ。

 地球をグローバリズムの価値観で均一化し、一握りの富めるものとその他大勢の貧しいものを創り出す新自由主義は、まさに伝統破壊主義ではないのか。

 これに先住民の人たちは怒った。2003年、3万人以上のエクアドル先住民の代理人としてアメリカ人弁護士団がシェブロン・テキサコ社を相手に10億ドルの訴訟を起こしたそうだ。

 ついでにいえば、このシェブロン・テキサコ社の無法ぶりはエクアドルだけにとどまらない。
 自国アメリカの市民が親しんできた川を汚水の流れに変えてしまったことで、環境NGOにより訴訟を起こされている(こちらの記事)。

 さて前述のエクアドルでは、1968年にアメリカ、テキサコ社がアマゾン川流域に油田を発見し、今では国際融資によって13億ドルかけた5,000キロに及ぶ新パイプラインが熱帯雨林を破壊して建設されたという。
 
 油田発見以来、

 生活困窮者の割合を示す貧困線: 50% → 70
 不完全就業者、失業者の割合: 15% → 70
 国家の負債: 2億4000万ドル → 160億ドル
 最貧層のために配分される国家予算の割合: 20% → 

 という具合に、人々の生活は困窮の度合いを深めている。おまけにこれは、世界を眺めれば、ほんの一例にすぎない。
「エクアドルが対外債務の元金を返済するには、石油会社に雨林を売るしかない」という。
 熱帯雨林を売れば売るほど石油会社は儲かり、さらに自然破壊、先住民の文化・生活の破壊が進む。
 世界をグローバリズムの価値観に基づいて均一化する新自由主義は、まさに伝統破壊主義ではないか。

 私たちの国でも、70年代とコイズミ改革を経た現在を比較すると、興味深い数字が出てくるに違いない。

 で、話しを元に戻すと、福祉や環境問題を語ると共産主義だ、と一刀両断し、平和と平等をも否定する日本会議の考えに共鳴する人たちは、同時に「資本」という語が嫌いなようだ。

 経済で考えれば、共産主義の対義語は資本主義だと思うのだが、政財界から教育界、そして言論界の一つの極を率いる日本会議のリーダーたちは、資本主義という語は口にしないのだろうか。

 彼らは、日本のコーポレートクラシーの利益拡大のために伝統を引っぱり出してきただけではないだろうか、と思う。

 グローバリズムの一翼を担って儲けに預かろう、という資本主義的姿勢一辺倒の姿を見せないために、伝統! と叫んで保守を自認する人びとの支持をとりつけようというのかな?

 それとも、福祉を切り捨て、戦争も厭わず、自国の若ものを戦地に送り出すのもいっこうに構わない姿勢に対して、また自国ばかりか他国の人びとをも踏み台にしようする行為に対して罪滅ぼしの気持で、伝統! と大きな声を張りあげるのかな? 
 それにしては扱われる伝統があまりに意図的に選ばれているような気がするのだが。

 *追記;

 日本会議は日本の右翼運動の中核を成し、さまざまな団体がここから出てここに戻ってくるプラットホームのような所。伝統を守る、と訴えながらナショナリズムを鼓舞し煽っている。

 私から見れば、コーポレートクラシーが推進する新自由主義と、伝統、伝統と声高に主張するナショナリズムとは相いれない。
 でも実際にコーポレートクラシーを形成する人の一部と日本会議を引っ張っている人たちとが重なり合う。

 これはどういうことなのだろう?

 単に無頓着、という人もいるだろう。その代表がアベ晋三氏か? そのために国内の右派向けの言動と、訪米したときの発言、行動が矛盾したりする。ダブルスタンダードだ。

 無節操ともいえる。
 ナショナリズムは心情に訴えるところが多いし、誰でもが抱えるアイデンティティを求める心を刺激する。
 その上で、自身の生まれた環境から当然生じるコーポレートクラシーとしての自覚で、いとも簡単にナショナリズムと新自由主義は折り合い、自分の中で同居する。

 で、アメリカならこの新自由主義とナショナリズムは矛盾せずにすんなりとひとりの人間の中に存在するのだろうが、私たちの国の場合、グローバリズムの旗を振りかざしてアジアへ進出するときは問題なくとも、アメリカと向かい合ったときには、その矛盾が露呈する。
 
 それでいつか私は「引き裂かれる」という語を使った。

 桜井よし子氏ら日本会議の論客は、おそらくそのことを十分承知しているのだ。
 彼女自身は用意周到に十分注意を払って、自分の置かれた立場の上で踊っている。

 でも草の根会員にはその自覚はないのかもしれない。
 むりやり二つを結びつけるから、論理は飛躍し、暴言になるのかもしれない。
 
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新植民地主義・新自由主義・民営化 10:34 pm

 1989年12月20日、第2次世界大戦後最大規模といわれる都市空爆がパナマを襲った。
 空爆を決行したのはいうまでもなくアメリカだった。
 
  81年におそらくジャッカルの手はずで乗っている小型飛行機が爆発炎上し死亡したトリホス大統領の後継者マヌエル・ノリエガは新パナマ運河建設計画を推し進めていたが、資金調達と建設に日本を頼ろうとしていた。
 が、ノリエガは「トリホスほどカリスマ性もなければ高潔性もなかった」。

 当時のアメリカ大統領はパパ・ブッシュ。
 国務長官ジョージ・シュルツはベクテル社の元重役。
 元国防長官キャスパー・ワインバーガーは同社の副社長だった。

 ベクテルは数10億ドルのビジネスチャンスを逃すかもしれない……こうしてノリエガは「堕落と退廃のシンボル」として世界中に喧伝された。

 パナマ空爆について世界中の政治家、政府、マスコミが一方的なアメリカの行動を国際法違反だと非難した。
 我が日本政府はどうだったのだろう? 分からない。当時は第1次海部内閣だ。

 一方、日本のマスコミといえば、記憶にある限りでは新聞の片隅にアメリカ軍のパナマ侵攻が載っていたくらいだ。麻薬取引で腐りきったノリエガのパナマを懲らしめる、というような論調だった。
 私もそれ以上は何も考えなかった。

 アメリカのメディアも非常に限られた範囲でしか扱わなかったそうだ。
 当時の国防長官(現副大統領)のリチャード・チェイニーは死者の数を500~600人としたが、複数の独立系人権グループは、3,000~5,000人と見積もり、25,000人が家を失ったという。

 ノリエガは拘束され、マイアミに連行され収監された。昨年の9月9日に釈放されているはずだ。

 このアメリカの対パナマ政策について、菅原出氏の『外注される戦争』によると、元民主党政治運動家ジョン・レンドンが率いるレンドン・グループがプロパガンダを請け負い、麻薬取引その他の悪に手を染める腐敗した独裁者というノリエガのキャンペーンを行ったようだ。
 菅原氏はこのレンドン社を「戦争広告代理店」と呼んでいる。

 大統領になりたてのパパ・ブッシュは、1,000万ドルの資金をパナマ反体制勢力に流し、ノリエガ政権を打倒させる秘密工作をCIAに命じた。で、これをCIAはレンドン・グループに外注した。

 さまざまな銀行口座やダミー会社を通じて「洗浄された」CIA資金がCIAの望む候補者陣営に流れ、そこからレンドン社に支払いが行われた。

 パパ・ブッシュの政権がパナマ侵攻を決めたとき、ジョン・レンドンと数名の従業員はパナマ市に軍用機でいち早く到着し、米軍侵攻の15分前にはパナマ入りをしていたという。

 アメリカの軍事行動を好意的に報じるように、パナマの反政府勢力のメディアを訓練する契約をレンドン社は国防総省と結んだ。
 米軍侵攻の一部始終はマスコミ、赤十字などの外部の眼から遮断され、中で何が行われたか明らかにされていない。
 このアメリカ政府の犯した罪を、アメリカ市民はほとんど認識しなかったらしい。レンドン社の手柄もあるだろう。

 さあ、これだけの悪事にパパ・ブッシュやチェイニーは手を染めてきたわけだ。
 そしてまた同様のことをジュニアがチェイニーと組んでイラクでも行った。
 
 このブッシュ家、アメリカでは名家のようで、wikipediaによると女系の先祖がイギリス王室に連なる家柄なのだとか。典型的なWASPなんだろう。
 360px-1981_US_Cabinet.jpg

   ↑このレーガン政権のいたって脳天気な集合写真を見ると、この笑顔の陰でどんなことが進行していたのか、ゾッとするばかりだ(パパ・ブッシュの政権の写真をまだ見つけていない)。

  国を挙げて、というよりアメリカという国の政財界の指導者たちコーポレートクラシーが法を無視し、米軍が独立した一国を空爆して勝手に押し入ったこと、そ のために多くの犠牲者が出たこと、その独立国の指導者を勝手に自国に連行して裁判をしたことなど、私たちの国のマスコミはどれだけ報じたか、政府はどれだ け抗議したか、なんとも心許ないのだ。

 追記: 日本がアブナイさんの所に行ってびっくり、唖然。

 14日夜から15日朝にかけて、東京の新宿御苑に、迎撃ミサイルパトリオット(PAC3)の装備の一部が運び込まれ、発射地点として適しているかを確認する実地調査が行なわれたそうだ。

 うまくアメリカのコーポレートクラシーの手に乗って、どんどん既成事実を積み上げている。

 日本会議派の方々は、草の根会員も含めて「平和」という言葉が嫌いなようだ。
 戦争したがる気持が一致して、こうした自衛隊の動きの加速に拍手を送るのだろうか。
 いつも不思議に思うのだが、年次改革要望書に怒っているのに、なぜアメリカの軍産複合体とコーポレートクラシーに絡んだこうした自衛隊の動きを容認どころか歓迎するのだろうか?
 
 草の根会員の一人ひとりがまさか戦争推進で儲けているとは思わないのだが、アメリカ国内のキリスト教原理主義者が南米で露払いの活動をして戦争協力したように、結局コーポレートクラシーが大儲けするのを後押しすることになるのを知っているのだろうか?
 (アマゾン川流域の原住民に対して福音派の伝道団SILは大航海時代のスペイン、ポルトガル並みのだましテクニックを使用し、そこにアメリカの企業が進出していった。アマゾン流域は石油の宝庫だ)。

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新植民地主義・新自由主義・民営化 10:33 pm

1981年、ジミー・カーターからロナルド・レーガンに大統領が替わった(副大統領はパパ・ブッシュ)とたん、中南米の二つの国で、アメリカの世界戦略か ら脱して独自の国づくりをしようと果敢に挑戦していた2人の大統領が事故死した。ひとりはヘリコプターの、もうひとりは小型飛行機の爆発で、「炎の中で命 を落とした」のだ。

 エクアドル大統領ロルドスとパナマ大統領トリホスだ。
 トリホスは「ロルドスを賞賛して『兄弟』と呼び」、「アメリカにパナマの運河を放棄させて正当な持ち主の手に戻し」、「政治的信条の違いを問わずに難民を受け入れ、社会正義の代弁者としてカリスマ的な地位にあった人物だ」。

 ロルドスが国とアメリカの石油会社との関係をがらっと変えるような法案を通そうとしていた。

「石 油会社は予想通りの反応を示した。あらゆる手段を駆使して対抗したのだ。広報関係者はロルドスを中傷し、雇われたロビイストは脅しと賄賂がつまったブリー フケースを携えて、キトとワシントンをくまなく歩いた。彼等は、現代のエクアドルで民主的に選出された最初の大統領を、カストロの再来のように色づけよう としたのだ。しかしロルドスは何ものにも屈しなかった」。

 石油会社と共謀している福音派の伝導団SILを追放したその数日後、ロルドスは命を落とした。

 5月にロルドスが死に、7月にはトリホスが犠牲になった。
 これについて、「私の現状認識は甘すぎた」と『エコノミック・ヒットマン』の著者は言う。
「ロルドスの死が事故でないのは、私には疑いようがなかった」。

 トリホスの死についても、「爆弾が仕掛けられていました。間違いなく爆弾があったんです」という証言があった。
 ラテン・アメリカでは、メディアも世間も、CIAの仕業だと信じて疑わなかった。 

 かねてより自分の仕事に疑問を抱いていた著者ジョン・パーキンスは、その前年の80年に辞職していた。10年の在職期間だった。

 アメリカの国益というより、会社の利益のためには何でもするコーポレートクラシーは、アメリカの政治家と密接に繋がっていて、一部は重なっていた。

 なおパナマのトリホス大統領については、日本も少々関係があるようだ。

 トリホス大統領は、新パナマ運河の建設工事にベクテル社をさしおいて日本企業に設計計画案を求めたそうだ。
 このとき当の日本企業は運河がアメリカの戦略上重要な意味を持っていることを理解し、結局工事に関わることはなかった、と関係者から聞いたことがある。それ以上は、私、とむ丸も知らない。

 エコノミック・ヒットマンEHMはパーキンスひとりではないし、彼自身何人もEHMを育てている。

「国際的な大企業はどこでも――靴やスポーツ用品を売っている会社から重機機を製造している会社に至まで――独自にEHMのような存在を抱えている」そうだ。

「ニュー ヨークやシカゴやサンフランシスコやロンドンや東京に本拠地を置く企業から送り出され、あらゆる大陸のそこかしこに入り込んで、腐敗した政治家が自国に借 金の足かせをかけたり、貧困に苦しむ人びとを搾取工場や流れ作業の組み立てラインに身売りしたりするようにうながす」のだという。

 なるほど、日本企業もやってるのだ。

 EHMは計量経済学やその他の知識を使って途上国の将来の青写真を描く。本人が出来なければ、優秀な? 研究者や研究者の卵を雇えばいい。彼等は理論、つまり仮説に合わせて、適当に数字を練り上げてくれる。

 これだけの投資をしてこうしてインフラ整備をしたら、あなたの国はこれだけ経済成長をしますよ、と過大な数値を並べる。コーポレートクラシーの望み通りの資料を作成する。実際にはありえない数字をはじき出して、途上国の政治家に夢を見させて説得する。
 脅しと賄賂で、たいていは成功するようだ。権力者は買収されやすい。

 ニューイングランドの厳格で道徳を重んじる家庭で生まれたパーキンスは、14歳の時父が教師を勤める寄宿学校に入学するが、級友はみな大邸宅やペントハウスに住むおぼっちゃんばかり。孤独を託つパーキンスは、「欲求不満の塊だった」と自ら言う。

 徴兵されてベトナムに行くのを嫌ったパーキンスは、「アメリカでその実態がもっとも謎に満ちた――そして最大規模の――スパイ組織」である国家安全保障局NSAの面接試験を受けるが、この欲求不満の存在そのものが、主要な合格要因だったらしい。

 えさで操れる人間、外国人とうまくつきあう能力、野心等々がEHMになるためには有利に働くようだ。

 よく言われる竹中平蔵のアメリカ・エイジェンシー説を思い出し、なるほどなあ、と頷く。
 経済大国として富を貯えた日本にアメリカのコーポレートクラシーが食指を伸ばすのは当たり前か。

 つい先週も、ラジオで「世界第2位の経済大国」と日本を形容していた。
 でもその枕詞は現在でも有効なのか? どうも違うのではないか、と思うのだが。

 13日の時事通信では、民間の調査会社が行った日本の未来についてのアンケートで、

「暗い」と回答したのが47%
「どちらともいえない、分からない」が43%で、
「明るい」と答えたのはわずか9%、

 という結果が出たらしい。この普通の若者の感覚の方が、私たちの国が「世界第2位の経済大国」と表現したメディアより現状にあっているのでは、と思う。

 なにしろ、内閣府が昨年末に発表した「国民経済計算」によると、93年に世界第2位だった一人あたり国内総生産GDPが、06年にはカナダ、フランス、ドイツにも抜かれ世界18位に低下したというのだから。

 それでもかつての経済大国の遺産に加え、社会保障が十全でない老後のために一人ひとりがせっせと貯えたゆうちょやかんぽが残ってる。それを喰おうというのが民営化の話しなのだろうが、さらに骨の髄までしゃぶられ、○○の穴の毛までむしりとられるのかもしれない。

 コーポレートクラシーはいよいよ富み、EHMは高級住宅に住み、高級レストランで食事をし、高級ブランドで身を飾り、休暇はカリブ海やその他の海でヨット三昧……(経験がないのでそれくらいしか思いつかないけれど)。

 パーキンスの時代よりも今の方が、EHMを育てるのも、EHMの活動も、ずっと巧みになっていそうだ。今では「エコノミック・ヒットマン」などという言葉は使われないらしいが、竹中氏がEHMとしてリクルートされたとしても、不思議ではなさそう。

 まあ、リクルートされたかどうか、真相は闇の中だが、結果としてEHMと同等の働きをしているのは確かじゃないか、と思う。

 郵政民営化をすればどれだけバラ色の将来が待っているか、青写真を提示し、
 “抵抗勢力”にめげずに万難排して民営化スケジュールを実行に移す。
 そのためにはあらゆる手段をとる。
 現に今だって、チーム竹中はいろいろやってるじゃないか。

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